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  辺銀さん ペンギンフェスタ2007参加作品

 この道は海に続く気がしていた。思い通りになったのなんて久しぶりで、オレは青い空に向かって大きく背伸びをした。海から吹いてくる風が汗を乾かしていて気持ちいい。
 しばらく歩くと、テトラポットが間近に見える小さな浜辺に面した道路に、黄色い枠だけのバス停が見えた。港行きのバスはいつ来るのだろうか。バス停の名前すら残っていないから分かるはずがない。まだ朝だし、特に予定もない。今日中にこの島を出ることが出来ればいいから、のんびりとバスを待つことにした。
 青い海を見下ろすと砂浜を駆けている子供の姿が見える。どこも変わらないと思っていたら、独特のイントネーションが考えを打ち消した。
「ペンギンさーん。こっちにもあるよー」
 ペンギンさん?
 不思議に思ってコンクリートの防波堤から覗くと、体格のいいオジサンが浜辺に立っていた。
「おおう」
 オジサンは子供たちに手を振ると、ゆっくりと身体を左右に揺らしながら、砂浜を歩いてくる。昔ながらの白いランニングシャツにベージュの短パン。腕と足は真っ黒に日焼けしている。その姿が本当にペンギンみたいでおかしくて、つい話しかけてしまった。
「こんちは、オジサン」
 オジサンは辺りを見回して、ようやく上の道路にいるオレに気づいた。
「おぅ、こんにちはぁ、青年。そんなところでどぅした?」
「バスを待ってるんだけどさ、いつ来る?」
「あー、いつかねえ? 毎日違うから分からないねえ」
 毎日……。一瞬絶句したのがなんか悔しくて、何事もなかったように話を続ける。
「オジサンたち、何してんの?」
「見ての通り、ゴミ拾いさぁ」
 左手にビニール袋を持って、右手でバーベキューで使うような銀色のトングをカチカチ鳴らしながら、オジサンは笑った。
 オジサンと子供たちは忙しそうに砂浜を動き回る。何もせずにただ、ぶらぶらしてるオレの居心地は当然良くない。しばらくして、バスが来そうにないことを再確認すると、オレは砂浜に下りた。バックパックを背中から下ろして階段に置くと、オジサンの目の前に右手を出す。
「袋、貸して。どうせ暇だからオレもやるよ」
 
 ◇ ◇ ◇
 
 貝殻より多いんじゃないかと思うくらい、いっぱい捨ててあるタバコのフィルターを拾いながら、オレはオジサンに話しかける。正直、何か喋ってないとやってられない。
「オジサン、何でペンギンさん?」
「苗字がペンギン」
 オジサンは砂浜に字を書く。周辺の辺に金銀の銀。これでペンギンって読むのか。これほど似合う本名もないな。苗字で呼ぶってことは、あの子供たちは親類の子じゃなくて近所の子か。
「青年は、夏休み?」
 今が中途半端な時期に当たることで、何度も聞くその問いは、途端にオレを憂鬱にさせた。高校中退を決めたのは自分だけど、これほどついて回るとは思わなかった。大人が何を言っても、日本はまだまだ学歴社会だ。
「学生じゃないっすよ。オレ、ニート」
 この言葉は嫌いだけど、自分を表わす他の言葉がないのは分かってる。自嘲気味に言うオレに、辺銀さんは『あー』と言って頭をかくだけだ。説教されるのかと思って構えたけど、申し訳なさそうに辺銀さんが口を開く。
「オジサンに横文字は難しいねえ。旅をしてるなら旅人でいいでしょ」
 まるで、格好つけて難しい言い方をしているように言われて、オレは拍子抜けして頭をかいた。下ろした右手を見たら汚れていた。すっかり忘れてて、辺銀さんと笑う。心の中の、今まで背負っていたバックパックより大きな荷物がすとんと下りた気がした。
「辺銀さん、何でこんなことしてんの? ここ辺銀さんの土地?」
「違うよお。誰のものでもないから掃除してるだけ」
「自分のものじゃないなら、ほっときゃいいじゃん」
 辺銀さんは、腰を伸ばして海を見た。オレも同じように青い海を見る。
「青年さぁ、ペンギンのこと何か知ってる?」
 話が急に変わった。ペンギンなんてずいぶん昔に水族館で見たくらいで、知っていることなんて思いつかない。辺銀さんはオレが喋るまで待ってるみたいだ。どうしようか考えつつ、打ち寄せる波を見る。あぁ、そういえば、引き篭ってる時に何度も見たDVDがあったな。
「映画で見たんだけどさ。人間は深い海に潜る時に地上では毎分七十回の心拍数が五十回になるんだって。だけど、ペンギンは二百四十回から二十回になる。めちゃめちゃ深くまで潜るために、酸素をあんまり使わなくていいように」
「物知りだねぇ」
 辺銀さんの目が子供みたいに輝いていた。その言葉が嘘じゃないのは分かるけど、そんなに凄いことには思えない。
「こんなの知ってたって、何の役にも立たないけどね」
「役に立たないことなんて何にもないよ。オジサンはさぁ、南極の氷が溶けてペンギンの子供が育つ場所がなくなったのをテレビで見てね。それでゴミを拾うことにしたんだ」
 また話が変わった。オレはさすがについていけなくなって、辺銀さんを止める。
「ちょっと待って。話が繋がんない」
「繋がってるさぁ。話も海もこれから行く先もずぅっと、繋がってるさぁ」
 辺銀さんが空に向かって宣言するように言ったとき、遠くに小さなバスが走ってくるのが見えた。オレは慌てて階段に行き、バックパックを背負う。
 ああ、これは間に合わないかも。まぁいいか、そうしたらもう一日ここにいよう。
 そう諦めかけたとき、子供たちがオレを追い越して、バスを停めた。彼らはこれも遊びのひとつのように笑っている。運転手は人の良さそうな顔で子供たちに笑いながら、唯一の乗客が乗り込むのを待った。後ろから辺銀さんが追いついて、白い歯を覗かせて笑った。
「手伝ってくれて、ありがとねぇ。よい旅を」
 今にも壊れそうなドアが閉まる。手を振る辺銀さんと子供たちが遠くなっていった。
 バックパックを足元に置いて、硬いシートにもたれかかると、窓の外に広がった海を見る。辺銀さんじゃないけど、この海がどこかに繋がっているように思えた。この当てもなければ終わりもない旅もきっとどこかに繋がってるような気がしてきた。
「なんだよ。ありがとうって言いたいのはこっちの方だよ」
 柄にもない涙交じりの低い呟きは、古いエンジン音に消された。
 
                                                (了)
 
 
 
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