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  ガムラン オンライン文化祭−2010−参加作品
 
 夕方六時をちょっとすぎたくらいなのに、外はまっくら。駅から出たとたんに冷たい風が吹きつけてきて、教科書の間に押し込めていたピンクのマフラーを慌てて引っ張り出した。冬は春みたいに前ぶれなんてまったくなく、突然やってくる。
 家までは歩いて七分。でも、最初の横断歩道を渡る気がしない。コンビニによって肉まんでも買おうかな。ピザまんも捨てがたいな。
 逆方向に歩いて、あたたかそうな店内へ駆け込む。横目にケースを見たら、この寒さで一気に売れたのか、売る気がないのか、あんまんと角煮まんしかなかった。あんこは口の中を火傷するからパス。夕飯前に角煮ってのも重すぎる。
 そんなにお腹が空いていたわけじゃないので、結局、駅へ戻る。欲しい本があったわけでもないのに、本屋なんか寄ったりして、だらだらと時間を潰した。
 最近毎日こんな感じ。正しく言えば三日前から。
 
◇ ◇ ◇
 
 三日前。一番上の絵美ねえちゃんが何年かぶりに帰ってきた。すぐ上の有紀ねえちゃんとはよく遊んだ記憶があるけど、絵美ねえちゃんとは年が離れているから、二人きりで話をした覚えがあんまりない。
 有紀ねえちゃんがいてくれれば、ちょっとは違うんだろうけど。この前の電話で仕事が忙しくて、しばらくこっちには帰れないと言っていたので、期待はしない。何とか乗り切るしかないんだ。
 家の前で覚悟を決めると、玄関の扉を開ける。冷たくなった扉は重く感じた。いや、重いのは気持ちのほうだって、本当はわかってる。
「あ、千紗。おかえり」
「ただいま」
 廊下の向こうから絵美ねえちゃんの声が聞こえたので、とりあえず答える。靴を脱いで、横を通ろうとしたけど、やっぱりちょっと戸惑う。
 何かの拍子でごろんと落ちてきそうなお腹。そう、絵美ねえちゃんは里帰り出産で帰ってきている。障害物がとことん排除された居間はパステルカラーで埋め尽くされて、毎日何かが増えている。そして今日の夕飯は匂いから分かるように、クリームシチュー。
 別に嫌なことがあるわけじゃない。ご飯を食べれば自分の部屋に戻るだけだし、カルシウム満載の食卓だってかまわない。じゃあ何で避けるのかといえば、やっぱり何か自分と違う生き物みたいなんだ。もちろん、悪い意味じゃなく。
 二階にある自分の部屋に入ると、ドアを閉めて、鞄をベッドの上に投げる。脱いだ制服をその上に重ねて、昨日も着ていたフリースに袖を通した。
「千紗ー。七時からご飯だって」
 絵美ねえちゃんの声がしたので、ドアに向かって叫ぶ。
「わかったー」
 下から呼んでいる割には大きな声だな。ちょっと不思議に思いながらドアを開けると、絵美ねえちゃんがどーんとそこにいた。
「ぎゃああ!」
 絵美ねえちゃんは眉をよせる。
「やだ。びっくりさせないでよ」
 びっくりしたのはこっちのほうだ。この妊婦、無茶しすぎ。まあ、ゆっくり上がって来たから足音に気づかなかったんだろうけど。
「こんな狭い階段上がって来ないでよ。どうやって降りるつもり?」
「小さい頃からずっと使ってた階段だから、大丈夫だよ。みんな、心配しすぎなんだってば」
 絵美ねえちゃんはそう言うと、ほんのちょっとだけ遠慮がちに部屋をのぞいた。
「入っていい?」
 いいも悪いもない。今、私の部屋になっているところは、もとは絵美ねえちゃんの部屋だし、今はここで少し休んでもらったほうが安心する。
「どうぞ」
 散らかっている訳じゃないけど、ゆっくり座るところはベッドしかない。慌てて鞄と制服を片付けた。
 絵美ねえちゃんはベッドに座ると、ぐるりと部屋を見渡した。
「綺麗にしてるじゃん」
 そりゃ、片付けの苦手な絵美ねえちゃんに比べたら綺麗だよ。そう思ったけど、口にはしない。
「絵美ねえちゃんのローチェスト、使わせてもらってるよ」
「使えるもんは何でも使って。ねえ、置いてったCDある?」
「もちろん、捨ててないよ。確か押入れに入れてると思う」
 私はごそごそと押入れを探して、大きなダンボールを出した。横には黒いマジックで自分のものではないことを書いてある。
 絵美ねえちゃんはそのダンボールに被さるように手を突っ込んで、一枚のCDを取り出す。
「あった、これだこれ」
 見慣れないジャケット。絵美ねえちゃんの趣味はちょっと変わっている。
「いやこれ胎教にいいかもって思って。コンポはまだ動く?」
「きっと無理。あ、このプレイヤーなら動くかも」
 コンポよりは新しいCDプレイヤーをローチェストから出して、電源を入れる。しばらく使ってなかったけど、電源は入った。上手く動いてくれると助かるんだけど。
 絵美ねえちゃんはケースからCDを取り出して、私の掌に置く。ケースにはお香が入っていて、開けた途端、どことなく異国の香りがした。
 
◇ ◇ ◇
 
 くるくるとCDを回していたプレイヤーは、少し経ってから無事に動き出して、音楽を紡ぐ。
 でもそれは、私の知っているような音楽ではなくて、音の洪水だった。
 波のような音が聞こえたかと思うと、途切れ途切れの鉄琴が遠くから響く。
 メロディというよりはリズム。鉄琴を追いかけるように重なっていた、小刻みな太鼓の音がどんどん大きくなっていった。音はうねりとなって、まるで押し寄せてくるようだ。歌声は私の知る限りの言語ではないらしく、何を言ってるのか分からない。
 私は絵美ねえちゃんに問いかける。
「変わってるね。何て曲?」
「ガムラン」
 絵美ねえちゃんは閉じていた目をあけると短く言った。
「正確にいうと曲名じゃないけどね。民族音楽の打楽器オーケストラって言ったらいいのかな? これはバリのガムラン」
 なるほど。このお祭りっぽさは民族音楽だからか。そう言っている間にも、ガムランは勢いを増していく。
 何というか、あまりにも衝撃的な胎教。絵美ねえちゃんらしいといえば、そうだけど。
「ちょっと賑やかすぎない?」
「うーん、記憶に残ってた印象と違ったかな。でもさ、生きているものってこんなもんじゃない? ざわざわしててあったかいっていうか」
 生きているもの。いのちのおと。
 そう思ってもう一度聞いてみることにした。絵美ねえちゃんのように目をつぶって、思い描いてみる。
 祭りが行われているのは、やしの木の真ん中にある小さな広場。
 風に揺れる葉の音。そして鼓動。
 葉に溜まったしずくは、ぱらぱらと零れ落ち、大地を潤し、大きな流れとなっていく。流れに星がうつり、きらきらと光輝いた。
 突然やってきたようで、気がつくとそこにある。そしてずっと傍にいる。そんな音、そんな命。
「悪くないかも」
「うん。やっぱりこれ聞こう」
 納得するタイミングはやっぱり姉妹かもしれない。
「プレイヤー借りていい?」
 CDとプレイヤーを両手に抱えながら、立ち上がろうとする絵美ねえちゃんを私は必死で止める。
「私が持って降りるから」
 その拍子に絵美ねえちゃんと真向かいになる。お腹を見ながら、遠慮がちに聞いてみた。
「触ってもいい?」
「いいよ」
 そっと手をあてる。弾力のあるお腹にどのくらい力を入れていいものか分からない。
「動かないね」
「そんなに緊張されちゃあ、動かないよ」
「そっか」
 残念だけど、仕方ない。手を離して、CDを持った私に絵美ねえちゃんが後ろから話し始めた。
「この子、甘いものが大好きでさ」
「で?」
「千紗の焼きプリンを食べたらきっと暴れまくるよ。見た目でわかるくらい」
 思い出した。絵美ねえちゃんは、結婚するまで料理という料理を全くしなかった。私はお菓子担当と何故か決められていて、プリンだのクッキーだのケーキだのよく焼いていた。
「私に、プリンを焼けとおっしゃるんですね」
「いつも通り砂糖控えめでね」
「嘘。あのプリン、本体の砂糖はレシピの七割だけど、カラメルはレシピの二倍なんだからね。全然、砂糖控えめなんかじゃないんだから」
 絵美ねえちゃんはにやりと笑う。
「さすが、よく覚えてるね。じゃあ、明日材料買ってくる。卵と牛乳と砂糖と」
「それはやめて。私が帰りに買ってくるから」
 まずい。明日は何が何でも早く帰ってこなくちゃいけない。そうじゃないと、この無茶な人が一パックの卵と一リットルの牛乳と、一キロの砂糖を買い出しに行ってしまう。
 苦労は増えた気がするけど、心は楽になっていた。賑やかで温かい、あの、ガムランのように。

                                               (了)

 
 
 
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