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  西の方へ行く
 
 彩花のおばあちゃんの家は百年以上前に建てられた木造の家だ。
 大きくてゴツゴツした柱は綺麗に磨かれて、夏でもひんやりとしている。
 渡り廊下を歩いた時の板のきしむ音。
 土間にある台所のかまどの所々はげている水色のタイル。
 外に行かないと入れないお風呂。
 春になるとツツジがたくさん咲く中庭。
 トイレは水洗じゃないからちょっと苦手だけど、彩花はおばあちゃんの家に来るのをいつも楽しみにしていた。
 おばあちゃんが亡くなってからはママのお兄さんの家族が住んでいる。でも、みんなが『おばあちゃんの家』と呼ぶので彩花もそう呼んでいた。
 この家では誰もいなくても玄関のガラス戸の鍵をかけない。彩花は無用心だと思うけれど、ママは『昔からそうだったから』と言って笑うだけだ。
 今日は法事で、みんな真っ黒な服を着てザワザワしている。こういうとき彩花はいつも二つ年上の従姉妹の真由ちゃんと一緒に遊んでいるけど、今日は修学旅行なので真由ちゃんはいない。
 古い柱時計を見ると、もう三時近いのに、お昼ご飯はまだ続いている。大人の食事会は長くてとても退屈だ。彩花は大きなあくびをした。
「彩花ちゃん、公民館なら同じ年ぐらいの子が遊んでいるわよ」
 眠そうな彩花を見て、真由ちゃんのお母さんが助け舟を出してくれた。彩花がママの方を振り返ると、『いいけど、夕方までには帰ってくるのよ』と念を押された。夕方なんてすぐに来てしまう。彩花はいそいで土間に向かい、靴をはいた。
「車には気をつけるのよ。公民館は裏の道をまっすぐだからね」
「いってきまーす」
 裏の道は、中庭から通路にもなっている納屋を通り抜けた先にある。パパは納屋にあるのは昔の農機具だって言うけれど、使い方が分かる人は誰もいない。
 柿の木の下を通れば、裏の道だ。田んぼのあぜ道だから、車は通らないし、人もたまにしか見ない。公民館はコンクリートの二階建てで、真由ちゃんと何回か行ったことがあるから、遠目でもすぐ分かった。
 田んぼの稲穂は色づいて風に揺れている。ひがん花が道沿いに真っ赤な絨毯を作っていた。彩花はゆっくりと真っ赤な絨毯の中に手を入れた。
 いつもなら、手を伸ばしたりはしなかった。真由ちゃんが『ひがん花は死んだ人の花なんだよ』って言うから。その『死んだ人の花』という言葉の響きが何だか怖くて、彩花はいつも見ているだけだった。どうして今日は手を伸ばしたのか、後で考えても分からなかった。
 彩花がひがん花を手折ったその時、花の色が濃くなったように見えた。


◇ ◇ ◇


「西の方へ行かれますか」
 いつの間にか田んぼの向こう側に着物姿の知らないおじいさんがいて、彩花に話しかけてきた。
「公民館に行くの。あれ?」
 彩花は目をぱちくりさせた。目の前にあった筈の公民館がなくなったからだった。不思議だけど、消えたとしか思えない。不安になって来た道を振り返るとおばあちゃんの家は、ちゃんとあった。
 知らないところじゃないみたい。彩花は少し安心した。
「公民館は西にあるの?」
 彩花がそう聞くと、おじいちゃんは困った顔をした。
「大丈夫ですよ。案内は私がしますから」
 声がした方を振り返ると、おかっぱ頭の彩花と同じぐらいの年の女の子がそこにいた。真っ赤な着物は彩花が手に持っている、ひがん花と同じ色だ。
「いいのですか?」
「縁(ゆかり)の者ですから」
「それではお任せします」
 彩花には何が何だか分からないけれど、おじいさんはいなくなってしまったので、女の子に聞くことにする。
「公民館はどこに行ったの?」
「ここは西の国。死んだものといずれ死ぬものの世界。だから、コンクリートの建物は来ることが出来ないのよ」
 やっぱりよく分からない。もう一度聞こうとした彩花の手を女の子は慌てた様子で引っ張った。
「とにかく、来た時間が良くなかったわ。秋はすぐに日が暮れてしまう。それまでに帰り道を作らないと」
「作らないと?」
「帰れなくなってしまうの。困るでしょう?」
 それは困る。怒られてしまう! 
 彩花は思い切り首を縦に振った。
「花を落とさないでね。帰り道はこっちよ」
「来たのはこっちだけど?」
 家から離れるのが怖くて、彩花はおばあちゃんの家の方を指差した。
「いずれそこも通るけど、道を作るのが先なの」
 どうやらこの子について行くしかなさそうだ。彩花はこれ以上聞くのを止めた。
「分かった。私、彩花。あなたは?」
「千枝子」
「よろしくね。千枝ちゃん」
「よろしく。彩ちゃん」
 
 千枝ちゃんが歩いていく先はどうやら中学校のようだ。例によって学校は見えないけど、大きな銀杏の木があるから、たぶん、そう。
「西の国って、いつもいるところとあんまり変わらないね」
「時々、つながるの。重なるって言った方が近いわ」
 千枝ちゃんの話はやっぱり難しい。
「ここ、少し登るから気をつけて」
 見覚えのある山道。ここには来たことがある。
「あ、柏餅のはっぱを取りに来る所だ」
「よく来るの?」
「時々。お母さんたちに頼まれて、真由ちゃんと来るの」
 彩花がそう言うと千枝ちゃんは何だか嬉しそうに笑った。
 山道から見える小さな川は透き通っていた。タニシもいるんだよと、真由ちゃんが言っていたのを彩花は思い出した。透明な水がきらきらと光って流れていく。
「その上から花を川に流して」
「うん」
 千枝ちゃんに言われたように、彩花は花を川へ投げ入れた。川の流れは案外速くて、赤い花はすぐに消えてなくなった。
「後は道が出来ていくから、日暮れまでに帰るだけよ」
 一度通った道は帰りがとても早く感じた。日没までには千枝ちゃんと会った場所に戻って来ることができた。
「西の国って来るのも帰るのも大変なの?」
「どうして?」
「私、また千枝ちゃんと遊びたいから」
「一度、行く道と帰り道が出来たからね。あの辺りにいたら、またきっと会えるわよ」
 嬉しいけど学校があるから、明後日には街に帰らないといけない。しばらく考えて、彩花は言った。
「次はね、冬休みに来ると思う」
「楽しみにしてるわ」
 千枝ちゃんは笑顔で言った。
「またね」
 彩花も笑ってから家に向かった。一度、柿の木の下で裏の道を振り返ったけれど、千枝ちゃんはいなかった。多分、いないと思った。
 だけど、また会えるとも思った。


◇ ◇ ◇


 十一月の終わり、彩花はリビングのソファにふてくされて寝ころがっていた。
「もう! いいかげんにしなさい!」
 キッチンからママが怒っている。
「そんな風なら冬休みに連れて行かないからね」
「だって、あの家を無くしちゃうなんて嫌だよ!」
 ママが冷蔵庫を閉める音がいつもより大きい。
「昔の家だから使い勝手が悪いの。料理ひとつ取るのに、おばちゃんは毎回靴をはいて土間の台所に行くのよ」
 ママは言い聞かせるようにゆっくり言った。
「それに土台が腐っているのよ。だから建てかえるの」
《ドダイガクサッテイルノ》
 彩花には、あきらめるための呪文のように聞こえた。
 ママだって嫌なのに、どうして我慢するんだろう?
 
 冬休みに入ってパパの仕事納めを待ってから、おばあちゃんの家に行く頃には、彩花は少し落ち着いていた。例え今の家がなくなったとしても、千枝ちゃんには裏の道で会えると思ったからだ。
 だけど、北風の吹く柿の木の下で、彩花は自分の目を疑った。
「どうして?」
 千枝ちゃんと歩いたあの道は田んぼごと駐車場になっていた。
 近くに出来たディスカウントショップの臨時駐車場だと、真由ちゃんのお母さんがママに言うのが聞こえた。
「前から話はあったらしいけど、先週ようやく工事が終わったの。この辺りもどんどん変わっていくわね」
 彩花はこういうのを『絶望』って言うんだと思った。
「どうしたの? 彩ちゃん」
 真由ちゃんが心配そうに見ていた。
「車に酔ったのかもしれないわ。少し横にならせてもらってもいいかしら」
 ママは勘違いしている。だけど、彩花は一人で泣きたかったので、ひいてもらった布団に何も言わずに潜りこんだ。
 続き間の仏壇に小菊と干し柿が供えてあるのが見える。仏壇の上にはおじいちゃんとおばあちゃんの写真が飾ってある。
 そういえば、まだおじいちゃんとおばあちゃんに『ただいま』を言ってないや。いつもなら、パパとママと一緒に『ただいま』って言うのに。
 そう思いながら、彩花は泣きつかれて眠ってしまった。


◇ ◇ ◇


 何時間たったのだろう。ゆっくりと襖(ふすま)が開く音が聞こえて、彩花はぼんやりと天井を見た。
「昼間から寝ると夜眠れなくなるわよ」
 その声に彩花は掛け布団ごと飛び起きた。
「千枝ちゃん!」
 そこには千枝ちゃんがきちんと正座をしていた。
「どうして泣いているの?」
 心配そうに覗きこむ千枝ちゃんに、彩花はまた涙が出てくる。
「だって、会えないかと思ったんだもん。裏の道がなくなってるし、この家だって」
「そうね」
 彩花の言葉に、千枝ちゃんは少し目をふせた。
「千枝ちゃん、知っていたの?」
「昔、ここに住んでいたから。家が教えてくれたのよ」
 千枝ちゃんはそう言うと、中庭へと続く障子を開けた。渡り廊下の向こう側の縁側にオレンジ色のカーテンのようなものが見える。
 さっきはなかった。千枝ちゃんもいるし、ここは西の国なんだ。
「あれは何?」
「あれはつるし柿。渋柿の短い枝を縄につけて干すの」
 オレンジ色のボンボンがゆらゆら揺れているようでとても綺麗だ。
「干し柿かぁ。綺麗だけど」
「彩ちゃんは嫌い?」
「うーん、何かうにゃっとしてるのが苦手」
 正直、硬いのか柔らかいのか微妙なところがあまり好きになれない。お菓子なら他に沢山あるから、無理に干し柿を食べる事もなかった。
「つるし柿はね、最初は渋いのだけれど、だんだん熟してきて、さらに手で揉んで柔らかくするの。その後水分が抜けて粉をふいたら出来上がり。でも、私は途中のとろんとしてるのを食べるのが好き」
 千枝ちゃんが言うと美味しそうに聞こえるから不思議だ。
「今度やってみるよ」
 ママは干し柿が好きだから、今年もベランダに二本、ビニール紐でくくったものがぶら下がっている。あれをもらってみよう。
 千枝ちゃんは口に人差し指をあてて、彩花に向かって小さな声で言う。
「途中で食べてしまうのだから、見つからないようにこっそりね」
「うん、こっそりね」
 秘密の合言葉みたいだ。二人は顔を合わせて、ふふふと笑った。
「そうそう、こっそりと言えば。こっちに来て」
 千枝ちゃんは何かを思いついて、彩花の手を引いて中庭と反対の方向へ歩き出した。
「どうしたの、これ」
 彩花は目を白黒させて驚いた。外の通りに面した部屋にある、すりガラスに小さな手形が踊るように付いていた。
「これは雨の日にしたの。ざらざらのところを濡れた手で触ると模様が付くのよ」
「怒られない?」
 彩花は心配そうに聞いたけど、千枝ちゃんは楽しそうに笑うだけだ。
「もちろん、怒られるわよ。馬小屋の掃除が待っているわ」
「馬?」
「そう、馬を飼っていたの。馬小屋は納屋の隣よ」
 彩花は動物園でしか馬を見たことがなかった。この家に馬がいたなんて想像も出来ない。 教えてもらったその場所は暗くて、じめじめした小さな小屋だった。罰掃除にはもってこいかもしれない。
「小さな子供は危ないから馬に乗せてもらえないの」
 そう言うと千枝ちゃんは納戸の方へ声をかけた。
「タロ」
 すると、納戸の奥から大きな白い犬が中庭に走ってきた。尻尾を左右に振っている。
「タロが私のお馬さんをしてくれたのよ」
 近くに来たタロは本当に大きな犬だ。小さな千枝ちゃんなら楽に乗ることが出来たのも分かる。
 彩花は目をまるくした。知らないことがいっぱいだ。まだまだこの家には秘密があるに違いない。
「こんなに楽しい家なのに。やっぱり勿体ないよ」
 彩花は口を尖らせて言った。千枝ちゃんはタロを撫でながら優しい声で彩花に聞く。
「ねぇ、彩ちゃん。小さい頃から馬に乗せてもらってたら、タロはお馬さんになってくれたかしら?」
「なってくれなかったかも」
 彩花は少し考えた後、ぽつりと言った。その答えに千枝ちゃんは本当に嬉しそうに笑いながら言った。
「だから、馬に乗れなかったのも悔しくないわ」
「家がなくなるのも悔しくない?」
 千枝ちゃんは笑顔のままだったけど、彩花の質問には答えなかった。
「ここには色んなものが隠れているでしょう。この家と私は少し隠れるの。彩ちゃん、今度会うときはかくれんぼよ。きっと見つけてね」
 そうして西の国は閉じた。
 
 土間の台所の明かりが付いた。もう、夕方のようだ。
「真由も家のことを話した時、駄々をこねて大変だったわ」
 真由ちゃんのお母さんの声がする。
「お義姉さん、今回のことで私はお礼を言いたいの」
 一緒に話しているのはママだ。一緒に台所に立っているのだろう。
「家を建て直す話は以前からあったのに、母の十三回忌をこの家でするために待っていてくれた。それが私は嬉しかった」
 蛇口から水が流れる音だけが響く。
「父は婿養子だったから母はこの家でずっと育ったでしょう。その母のために出来る限りのことをしてくれたと思っているわ。……本当にありがとうございます」
 真由ちゃんのお母さんが泣いている。ママは真由ちゃんのお父さんとお母さんがどれだけ悩んだのか知っていたんだ。
 本当に仕方がないと思って、それで呪文が出来たんだ。
「ドダイガクサッテイルノ」
 彩花も呪文を唱えた。


◇ ◇ ◇


 季節は巡り、次の年の秋が来た。
 今日は日曜日。丁度、お彼岸の最終日でもあったので、新しい家を見るのは今日ということになった。
 道は思ったほど混んでいなかったので、車は予定より一時間早く着いた。
 ママが白い壁についたインターホンを押す。しばらく待っていたが、誰も出てこなかった。
「鍵もかかっているし、留守みたいね」
 彩花は家を見上げた。いつでも入れたあの扉は大きな木の扉になっていた。
 全然違う家になっちゃった。覚悟はしていたけど、やっぱり寂しい。
「先に墓参りに行こうか」
 黙り込む彩花とママを見てパパが言った。
 
 お墓の道はさすがに車が多かった。いつもは山側の道に寄せて止めるのだけれど、今日はいっぱいだ。
「奥に駐車場があったな。行ってくるよ」
 パパはママと彩花を降ろすと、車がぎりぎり入る小さな坂道を上っていった。
 ママがお花とペットボトルに入ったお水を、彩花が途中で買ってきたおはぎと線香を持って、山道を少し歩いた。
 お墓の周りは掃除が必要ないくらい綺麗だった。置いてあった箒で挨拶程度に掃き掃除をして、ママは小菊を包んでいる新聞紙を広げた。
「少し多かったかしらね」
 ママはそう言いながらも、強引にお花を詰めこむ。彩花が水入れと花入れにお水を入れると、ママが『あ』と声をあげた。
「上からお水かけるのどうしよう」
 いつもならパパがしてくれる。ママは足元が不安定なのは苦手なんだそうだ。
「私がするよ」
 彩花はお墓の左側のブロックに上り、軽く片手をつきながら慎重に水をかけた。
「おじいちゃん、おばあちゃん、お水ですよ。今日は彩花がくれますよ」
 ママが言うのがちょっと照れくさい。パパがするみたいにはいかないけれど、上からちょろちょろと水が流れた。
 ふと、石に彫ってある文字が彩花の目に止まった。
「ママ」
 彩花はこれ以上ない真剣な低い声でママを呼んだ。
「千枝子ってだぁれ?」
 ママはおはぎを袋から出しているところだった。
「おばあちゃんの名前よ。うちのお墓はね、本当は山の一番上にあったのだけれど、おじいちゃんが亡くなった時におばあちゃんが下の土地に降ろしたの。その方が毎日来られるからって」
 千枝ちゃん! 千枝ちゃん! 千枝ちゃん!
 彩花は千枝ちゃんの名前に手を置いて、心の中で何度も呼んだ。
「おお、すごいじゃないか。彩花が水をあげたのか」
 パパはブロックに上っている彩花に少し驚いたようだ。パパの手を借りて彩花は地面に降りた。ママは線香の束に火をつけると、受け皿に寝かせておいた。煙が真っ直ぐ青い空へ吸い込まれていく。
 三人でその場にしゃがみこむと手をあわせた。ママと彩花はいつもより長い間、そうしていた。
「さっき、彩花におばあちゃんの話をしていたの」
 ママは立ち上がると先に立ち上がっていたパパに言った。
「あまり聞いたことがなかったかもしれないな。彩花が生まれた時には亡くなっていたし」
 ママは遠い目をした後、彩花に微笑んだ。
「面白い人だったわよ。会わせてあげたかったわ」
 会ったよ、ママ。西の国で会ったよ。
 彩花は心の中で言うと、お墓を見上げた。
 そうだよね、千枝ちゃん。
 遠くで、ひがん花が揺れていた。


◇ ◇ ◇


 新しい家に戻ると、今度はインターホンから声が聞こえた。
「どうぞ、入って」
 広い玄関には新品のスリッパが置いてある。廊下はつるんとしていた。パパとママが新しい家を褒めているのを、彩花はぼんやりと聞いていた。
 最初の部屋は仏間だ。前の家の時と部屋の向きが変わっていたけれど、物の配置は変わっていなかった。
 彩花は少し、ほっとした。何もかもが変わったわけじゃないんだ。
「おじいちゃん、おばあちゃん、ただいま」
 仏壇に手を合わせて、いつものように言う。でも、よその家に来たみたいで、ただいまという言葉が空回りする。
 
「この廊下の先がリビングなのよ」
 昼間だというのに、廊下にはきっちりとカーテンが閉められていた。
「おばちゃん、どうしてカーテンを閉めているの?」
「それは、真由に聞いたほうがいいわ」
 真由ちゃんのお母さんは楽しそうに笑った。後ろで真由ちゃんもくすくすと笑っている。
「いい? そこに立っててね」
 パパとママと彩花は顔を見合わせた。
 真由ちゃんのお父さんとお母さんと真由ちゃんは、それぞれ廊下の端のカーテンを持って、一気にひいた。
「え?」
 三人は言葉を失った。そこには中庭があった。
 ツツジも松の木も小さな池も変わらない。変わったといえば、その広さくらいだろうか。
「こういうの、箱庭っていったかしら」
 ママが呆然としていった。
「全部ではないんだけどね。真由がどうしてもっていうから、大工さんに相談したんだよ」
 真由ちゃんのお父さんが照れくさそうに笑った。もしかしたら、真由ちゃんのお父さんも全部変えるのは嫌だったのかもしれないと彩花は思った。
「驚くのはそれだけじゃないんだよ」
 真由ちゃんはふんぞりかえるんじゃないかと思うほど得意げだ。
「こっちに来て」
 廊下をぐるりと回るとツツジが見えた。その中に秋だというのに、ピンクの花が見えた。
「あれ、咲いてるの?」
 彩花はママに聞いた。ママはまんまるな目をしていた。代わりに真由ちゃんのお母さんが二人に答えてくれる。
「咲いているのよ。先週、暖かくなった日があって、一本だけ狂い咲きしているのを見つけてびっくりしたわ」
「お母さん、狂い咲きじゃないわ。かえり花って言うのよ。秋に暖かくなって春の花が咲くことをかえり花っていうってテレビで言ってたもん」
 確かに『狂い咲き』より『かえり花』がいい。彩花も真由ちゃんの意見に賛成だった。
「近くで見てもいい?」
 彩花はサンダルを借りて、真由ちゃんと庭に出た。
 二人でツツジの前にしゃがみこむ。花はぽつりぽつりと咲いていた。
 千枝ちゃんが笑ってるみたいだ。彩花は頭の奥がじぃんとするほど嬉しかった。
 
 庭はぽかぽかで本当に小春日和だ。
 彩花がいるところから、咲いているツツジの後ろに犬の尻尾が見えた。尻尾は右に左にと良く動いている。
「あれ? 犬飼ったの?」
 日の光がまぶしくて、よく見えない。良く見ようと目を薄くする彩花に真由ちゃんはにこにこして言う。
「あの犬ね、前の家の時から時々遊びに来るの。すごく人懐っこいんだよ」
 こっちを見た犬の名前を彩花は知っていた。
「タロ」
 自分の名前を呼ばれたタロが、彩花と真由ちゃんを見つけて嬉しそうに駆けてきた。
 彩花はその向こうに千枝ちゃんを見つけた。
 
                                               (了)
 
  (2007.06.08 改稿)
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