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  Drifters ( ドゥリフターズ )  Villain参加作品



 かつて宇宙に散らばっていた人類という名の生き物の数が、環境の変化と共に減少し、彼らの新しい住居として建設が続いていたコロニーは、ただの箱となって記憶と記録から消えていった。その中で、五つのラグランジュ・ポイントに作られたコロニーだけは、当時、配慮された安定性のおかげで変わらず、太陽と地球の間に存在していた。
 第4ラグランジュ・ポイントにあるコロニーは、長い間アルノリドだけの世界だった。アルノリドがメインコンピュータとして搭載されているのは、今は製造されていない自動エネルギー補給型宇宙船だ。あらゆる物質を自分の動力とする、物騒な船。ただし、ある程度物質が細かくなければエネルギーとして活用できないという不運のもと、動けなくなってしまった彼は、長い時間をかけてこのコロニーに辿り着いた。それからというものアルノリドは、ただひたすら、チャンスが来るのを待っていた。
 管理の行き届かなくなったコロニーの外壁には、隕石や使われなくなった人工衛星がぶつかり、大きな亀裂が走っている。そこから入り込んだ宇宙船は斜めに引っかかるような形で、コロニーに固定されていた。間抜けな姿だとアルノリドは嘆いたが、望むと望まないとに関わらず、銀河系を出てしまう宇宙船が多い中で彼の運は良いほうだと言える。
 沈黙していたコロニー内を這うように薄緑色の非常灯がつき、旧式の重力発生装置が起動していく。他に動いているものは確認できないので、おそらく遠隔操作だろう。これから何かが始まるのだ。予測不可能の事態に対応すべく、アルノリドは残り少ないエネルギーで小さなロボットを起動させ、船の外へと向かわせた。丸みを帯びた身体と三関節のアームを持つロボットは、複数の車輪を帯で覆ったクローラで動くように作られており、アルノリドの操作どおり器用にバランスをとりながら、コロニー内のガラクタの転がる通路を進んでいった。
 ロボットに搭載したカメラから送られる画像を、アルノリドは分析し続けた。旧式とはいえ惑星探索用ロボットの映像は鮮明で、少ない明かりでも何が映っているのか十分認識できる。映し出された壁には大きな穴が開いていて、静かな闇が広がっていた。そこから壊れた人工衛星と共に二つの棺がコロニー内に入ってくるのが見える。宇宙葬はとっくの昔に禁止されている筈だが、細々と続けられているのだろうか。
 重力によってコロニーに引き寄せられた棺は、コロニー内に入った途端、大きく傾いて床へと落下した。少しの間があって、棺の扉がゆっくりと開き白い腕がぬるりと現れた。その動きに気づいたアルノリドは慌ててロボットを通路の角へ移動させる。表面温度から察するに棺に入っているのは人ではなく、人と共に生活できるように作成されたアンドロイドだった。
 アンドロイドは数十年前までは量産されていたが、問題が多いため、ここ数年は受注生産に切り替わっている。暴走するものもいるので、起動テストも辺境の地で行われている筈だ。確かにこの場所なら地上よりはるかに迷惑がかからないから、起動テストには持ってこいだろう。アルノリドは映像を見ながら、相手の様子をうかがった。
 起き上がったアンドロイドは女性型で、黒い服がぴたりと全身を包んでいた。彼女はウェーブした金色の髪をかき上げながら、静かなコロニー内を見渡す。遅れて起き上がった銀色の髪の男性型アンドロイドは青年と少年の間のような姿をしている。
「まだ、来ていないようね」
 ヒールの高いブーツを履いている分、彼女の方が少し背が高い。彼は見上げるようにして、遠慮がちに口を開いた。
「ねぇ、リュージュさん。僕、ちょっと出かけて来てもいい?」
「はぁ? 状況を見てから言いなさいよね、アークα。百歩譲って自律分散型システムのせいだとしても、こんなときにふらふら散歩するなんておかしいとは思わないの?」
 次々と機関銃のように文句が出るリュージュを前にして、アークαは小さく身体を丸めた。
「うん、ごめん。でも目的があるから散歩じゃないよ。ライトさんを安全なところに隠しておきたいんだ」
 そう言うとアークαは小さな箱を両手で大切そうに持ち上げた。中には彼のかつてのパートナーであったライトの人工知能が保管されている。今の彼は彼女のために動いているといっても過言ではない。リュージュは額に掌を押し当てて、ため息をついた。
「まぁ、ライトには私も世話になったしね。彼女に免じて、少し時間をあげるわよ。どこに隠すか、目星はついてるの?」
「全然」
 言葉に合わせるように横に首を振るアークαに対して、リュージュはがっくりと肩を落とした。
「アークα。あんたってどうしていつもそうなの。それじゃあ散歩と大して変わらないじゃないの」
「うーん、それもそうだね」
 笑顔を浮かべながら能天気に答えるアークαにこれ以上何を言っても無理だと判断したリュージュは、子供を諭す母親のように、アークαの目線に自分の目線を合わせて、ゆっくりと話す。
「データベースの中にコロニーの設計図があるわ。目ぼしい場所をリストアップしてから動きなさい」
 言われたように作業を始めたアークαは、安全そうな場所をいくつか見つけると、今度は満面の笑みをリュージュに向けた。
「さすがだね、リュージュさん」
「あんたに言われても嬉しくない」
 憮然とした態度を取るリュージュだが、アークαは全く気にしない。そのまま、ぼさぼさの髪を掻きながら、のんびりと歩き出した。
「じゃあ行ってくるね」
「だらだら歩かない! 全力で走る!」
 アークαはリュージュの声に驚いて一度、身体を硬直させた。しかし、こんな会話は慣れている。すぐに気を取り直して箱をしっかりと抱え込むと、彼は足場の悪い通路を走っていった。
 あっけにとられながら二体のアンドロイドの様子を見ていたアルノリドは、ようやく分析を始めた。起動したばかりとは思えない柔軟な動きと、人間くさい妙な言葉選びにその表情。まだ普通に輸送船として使われていた頃、アルノリドもアンドロイドを運んだことがあったが、それらとは大きく異なって、彼らには秩序というものがない。
 これは、俗に漂流者と呼ばれるアンドロイドだとアルノリドは判断した。量産時代に管理しきれなかった違法アンドロイド。通称、ドゥリフター。自分も法律の枠から出てしまってはいるものの、こんな犯罪者とは関わりあいたくない。
 だが、アルノリドの些細な願いは届かず、リストと照合しながらコロニー内を歩いていたアークαはアルノリドが管理する宇宙船を発見した。彼はアルノリドがロボットを回収するために開いたままにしていた扉の前で、宇宙船の名前が彫られたプレートを見ると、ぽつりと呟く。
「変な名前」
 失礼な、とアルノリドは反論したかったが、ぎりぎりのところで自分を抑えた。アルノリドだってこの船の名前はおかしいと感じていた。昔、人工衛星にも使われていた、ロシア語で旅の道連れを意味する言葉の後ろに、悪魔の数字を連想させる番号がついている。数字は偶然つけられたとはいえ、最悪の組み合わせだ。だが、メインコンピュータであるアルノリドをもってしても、船の名前は決められない。ゆえに彼はこの偶然の悪戯を受け止めるしかなかった。
「うーん。コロニーより、こっちの方が安全かもしれないな」
 アルノリドの動揺を知るはずもなく、宇宙船に遠慮なく入り込んだアークαが使われなくなった宇宙服の隙間に箱を置いたとき、コロニー全体に大きな衝撃が起こり、中途半端だった彼の体勢は大きく崩れた。一瞬閉じられた彼の瞼がもう一度開かれると、そこには冷ややかな瞳をした青年がいた。空気はもともと凍りついているようなものだったが、さらに冷たい雰囲気が辺りを包む。若干緊張したアルノリドをよそに、彼は箱を再確認すると、その場から離れてすばやくコロニーの通路へと戻っていった。
 アルノリドはアークαが置いた箱をどうするべきか考えた。アルノリドにとってドゥリフターに関わるのは好ましくなかったが、唯一動かせるロボットはリュージュの動きをうかがっている。しかたがないので、このまま置いておくことにした。
 その頃、通路の真ん中でリュージュは苛立っていた。目的の宇宙船が到着したというのに、相棒が戻ってこないからだった。情報によると宇宙船に載せられている荷物は二つ。どちらが自分の目的の物か分からない限り、一人で手を出すのは得策ではなかった。
「遅いわよ、アークα! いえ、今はβね」
 文字通り飛んで来た人影に詰め寄った彼女は、文句を言う相手がすり替わっていることに気がついた。これだから二重人格は面倒くさいとぶつぶつ呟く彼女を完全無視して、アークβはリュージュの横を通り過ぎていく。
「奴らはどこに着いた?」
「居住ゾーンよ。早くしないと起動テストが始まってしまう。もう、こんな旧式は嫌なの。とっとと新しい身体を手に入れるわよ」
 彼らは長い通路を抜けて、居住ゾーンへと足早に移動していく。アルノリドは床に転がる小さなガラクタを名残惜しそうに見た後、ロボットに彼らを追わせた。今はドゥリフターの動きを見ていよう。停滞していたものが一気に動き始めた。動いている水は腐らない。チャンスは必ずやってくる。


◇ ◇ ◇


 その頃、居住ゾーンに着いた宇宙船の中で、一体の新型アンドロイドが起動を開始していた。初期設定中の男性型アンドロイドは散漫な動きで、あちらこちらにぶつかりながら片割れを探す。彼が入っていた銀色のケースには小さな文字が刻まれていた。識別番号E24、固有名称クロム。所有権は月。設計者はブラフマン・スターム。これらの情報は、今の彼にとってはただの記号だった。隣にあったケースの中にはまだ、起動していないアンドロイドが眠っている。彼女の識別番号はE34、固有名称セレン。それ以外の記号はクロムと同じだった。
 現状を確認したクロムは事前に入力されていたプログラム通り、設計者に連絡をとるため、自分が与えられているコードとパスワードを入力した。宇宙船に搭載されたコンピュータは無駄な会話などすることなく、事務的に通信装置を作動させる。コール音が響き渡る中で、クロムの瞳から緑色の光が消えていく。それは初期設定が終わった証だった。
『はい。こちらスターム』
 通信機から聞こえてくる声紋を確認して、クロムは感情のない声で用件のみ告げる。
「スターム博士。こちら識別番号E24、固有名称クロム」
『ああ、無事に初期設定まで終わったようだね。お疲れ様。今の状況を教えてくれるかな?』
「宇宙船は無事にコロニーへ到着しました。識別番号E34、固有名称セレンからは反応がありません」
 通信機の向こうでがたがたと音がした。博士が通信機を手前に寄せた音だった。博士の声が先ほどより若干大きくなったのがクロムにも分かった。
『反応なし? 破損部分は?』
「E34に破損は見受けられません」
『それなら良かった。他に何か変わった事は?』
 セレンに破損がないことを確認した博士は、クロムと話しながら必要な資料をかき集めた。ついでにした質問に対する答えなど全く予想していない。クロムは博士がした質問に対して、淡々とした口調で報告する。
「コロニー内にて三体の人工物が移動中。こちらに近づいています。識別番号なし」
 クロムの言葉を聞いた博士は、口をあけたまま不安定な椅子から落ちた。そのままの体勢で、この問題にどう取り組むべきかしばらく考えをめぐらすと、博士はゆっくりとクロムに話しかける。
『クロム、今から言うことを良く聞いてくれ。その三体は恐らくドゥリフターと呼ばれるアンドロイドだ。以前からよく起動テストの現場に現れていてね、新しい入出力装置を狙っている。つまり、君たちの身体を乗っ取ろうとしている。初期設定の終わった君は、もう他の人工知能を受け付けないから心配はないが、今の状況ではセレンが狙われると考えて、まず、間違いないだろう。ここまでは理解出来るかな?』
 それはクロムが始めて聞く長い言葉だった。彼は博士の言葉を記録すると、何度も繰り返し、ようやく返事を口にした。
「はい、博士」
『では、クロム。セレンをケースから出してくれ。それで非常時の起動が開始する』
 博士に言われた通り、クロムはセレンの身体をケースから取り出した。すると、彼女の瞼が開き、瞳が黄色の光を放った。
「起動開始しました。ただし、エラー信号が見受けられます」
『こちらでも確認した。実時間視覚装置がうまく起動しなかったようだ。これから、私が遠隔操作でセレンの初期設定を行う。エラーの修正もしながらの作業になるから、設定が終わるまでには通常に比べてかなりの時間がかかるだろう。これ以上エラーを出さないためにも、重力装置のない宇宙船よりも、このままコロニー内にいてくれたほうが助かる。そこでクロム。セレンの初期設定が終わるまで、君に彼女の保護を頼みたい』
 博士の言葉が途切れると、クロムは口を開いた。
「具体的な行動パターンの指示をお願いします」
 先ほどより答えを出すまでの時間が短くなっている。クロムには問題がなさそうだ。しかし、起動したばかりのクロムの自己学習機能はもちろん新品そのもので、臨機応変な行動をとるのは難しい。彼にどう指示を出せばいいのだろうか。博士は腕を組んで暫く考えると、シンプルな言葉を選びながら、クロムに話しかける。
『あー、えーとだな。つまり、これからコロニー内で鬼ごっこをして貰いたいんだよ。セレンを連れて、ドゥリフターから逃げ続けて欲しい』
「前半部分は理解不可能。後半部分は了解しました」
『それで十分だ。健闘を祈る』
 その言葉を最後に博士との通信は終わった。通信装置を置いたクロムは、宇宙船の出口を探した。彼がゆっくり歩くとセレンがぎこちない動きで後を追う。実時間視覚装置のエラーは続いていたが、これだけ動けるのなら逃げ続けることも不可能ではない。そう判断したクロムはセレンを連れて、コロニー内へと進んでいった。
 居住ゾーンに着いたリュージュとアークβは新型の宇宙船を発見した。しかし、目的のアンドロイドの姿は見つからなかった。思ったより通路の損傷が激しく、ここまで来るのに相当な時間を要してしまった。アークβは空っぽのケースを見下ろして苦虫を潰したような顔をする。
「遅かったか」
 リュージュはあんたのせいよ、と言いかけてやめた。今はアークαよりアークβであったほうが都合がいい。無駄な言い争いは極力省いて、すばやく行動しよう。いつ衝撃が起こり、また、アークαに戻るかなんてことは、誰にも分からないのだから。
「だけど変だな。起動したなら、宇宙船ごといなくなってもいいはずだ。どうして、コロニーに降りる必要があったんだ?」
 片方の膝をついて新型アンドロイドのケースを調べているアークβに、通信記録を発見したリュージュは張り詰めた声で話しかける。
「ちょっと、こっちに来て。通信記録が残っているわ。まだ、チャンスはありそうよ」
 嬉しそうに話すリュージュの後ろで記録を見ていたアークβは眉間に皺を寄せる。そこに記されているのは楽観的な出来事だけではなかった。
「俺たちの他にも来ているのか。都合が悪いな」
「まぁ、ドゥリフターはそれこそ星の数だけいるんだから、ターゲットが重なってもしょうがないわね。とにかく早く手に入れましょう。セレンは女性体のようだから、適合したら私が使うわよ。不適合ならライトに渡す」
 どさくさに紛れて自分の希望を通そうとするリュージュの焦りを、知ってか知らずかアークβは興味がないようにあっさり答える。
「ああ、それで構わない」
「へぇ、意外」
 目を丸くするリュージュをちらりと見た後、アークβは来た道を振り返った。彼はクロムがあまり遠くに行かないうちに捕まえようと言い、宇宙船を後にしてコロニー内に戻っていく。リュージュは足早に歩くアークβの横に並びながら話を続けた。無駄話はやめようと思ったばかりだったが、もともと話好きなので沈黙は得意ではない。
「絶対、文句言われると思ってたわ」
「一体で動くのは得策と思えないから手を組んでいるんだ。その位の譲歩はする。それに、万が一、女性体が手に入らなくても、逃げている男性体を捕まえることが出来れば、宇宙船を動かすための識別番号は手に入る。狭い棺に入って長い時間、漂流を続けることもない。現状より好転するのなら、俺はどっちでも構わない」
 リュージュはこれが打ち合わせなのか、ただの世間話なのか分からなくなってきた。クロムが近づいていれば、こちらの動きがばれてしまうが、聞かずにはいられなかった。
「クロムが動いていようが、壊れようがどっちでもいいって訳?」
「極論で言えばな。両方無傷のままで手に入るのが一番好ましい」
 確かに間違ってはいないとリュージュは納得した。欲しかったのはささやかな自由だったけれど、もう後戻りが出来ないところまで来ている。もし、自分たちが捕まるようなことがあったら、あっという間にスクラップになることは間違いない。相手のことなど考えている余裕はないのだ。
「必要があれば、この私だって破壊対象にするでしょうね」
「それはお互い様だろう?」
「まぁね」
 何か小さなものが転がる音がして、リュージュは来た道をぱっと振り返った。船員用の個室から出てきたのはクロムとセレンだった。セレンの瞳から発される黄色い光が彼らの動きにあわせて細長く伸びていく。
「いたわ!」
 どうして気がつかなかったのだろう。自分のセンサーはコロニー内で動くもののデータを取るように設定しているのに。困惑しつつ彼らを追いかけるリュージュの隣で、アークβがデータを見直しながら、呟いた。
「凄いな。新型はあんな動きも出来るのか」
「性能の違いってこと?」
 心底悔しそうな表情をして、クロムたちを追おうとするリュージュの腕を掴み、アークβは冷静に告げる。
「待て、リュージュ。今、現在地を確認した。あのまま行くと行き止まりだ。唯一、入ることが出来るのはD3フロア。表示にはスポーツジムとあるな」
 作戦を立てようというアークβの意図が分かり、リュージュはクロムが消えていった通路を睨むのをやめて、アークβの正面に立った。
「聞きなれない言葉ね。結構広いけど、一体何をするところなの?」
「人間たちは長い間宇宙空間にいると身体を動かすための筋肉が衰えてくるんだ。人工的な重力があるものの、行動範囲が限られてくるだろう? それで、最小限のスペースで筋肉を鍛えることにしたんだよ。地上に戻ったとき、動けなくなると困るからな」
 リュージュは両腕を組みながら、首を傾げた。
「面倒くさいわね。それなら、最初から宇宙になんて出なければ良かったのに」
 リュージュの呟きに対して、答えは返ってこなかった。彼女は無言でデータを集めているアークβに別の問いを投げかけた。
「D3フロアから、他のフロアへの通り抜けはできるの?」
「ああ、一ヶ所だけある。階段を降りた先にある更衣室から温水プールに抜ける道だ。このプールはJ5フロアと繋がっている」
「プール? 貯水タンクの印が付いているけど、これ何?」
「さあ? 俺たちに関係がないことだけは確かだ。俺はJ5フロアから施設内に入る通路を探す。リュージュは奴らを追ってくれ」
 それだけ言うと、アークβは崩れた通路へ向かった。倒れかけた壁を避けながら、進む彼にリュージュは呆れたように笑う。
「アークβ。あんたって小まめね。一気に壊してしまえば早いのに」
「何から何までリュージュのように壊していたら、相手も動きやすくなるだろう?」
「理解出来ないわ。余計なものは壊したほうが早い。壊れやすいものは置いておく価値がない。なのに、どうして世界はこうも壊れやすいのかしらね」
 両手を腰に当て、さも正しいことを言っているかのような態度をとるリュージュに、アークβは珍しく懇願するような口調で呟く。
「破壊主義が全面的に悪いとは言わないが、頼むから今は抑えていてくれ」
 アルノリドの目の前で二体のドゥリフターが別々の方向へ歩いていく。アルノリドはどちらについて行くかしばらく考えていたが、足場の悪そうなJ5フロアを諦めて、D3フロアへ向かうことにした。足早に進んでいくリュージュを慌てて追いかけるアルノリドは、アークβが一瞬振り返ったことに全く気がつかなかった。


◇ ◇ ◇


 アークβの予想通りD3フロアに入ったクロムは、障害物の多いフロア内を慎重に進んでいた。彼はセレンの手をひいて、無機質な障害物を器用にすり抜けていく。クロムの動きは先ほどに比べてスムーズになっていた。
 通路にいたのが恐らくドゥリフターだ。博士のような、人間のような話し方をする妙なアンドロイド。いや、そもそもアンドロイドは人間社会に溶け込むように作られているのだから、あれが正常という可能性もある。クロムは試しに傍らにいる女性型アンドロイドを、彼らのように固有名称で呼んでみることにした。
「セレン」
 彼女は黄色く光る瞳を細めてぎこちない笑顔を作った。プログラムが反応しただけだということはクロムにも分かる。それでも嬉しいとクロムは感じた。どんなことからも守れるように、クロムはセレンとの距離を縮めながら歩くことにした。D3フロアの入り口でがつんと何かが衝突する音がした。静かなフロアに鎖の音が異常を知らせるように響き渡る。
「ちょっとー。何よ、これ」
 フロアに入った途端、したたかに額を打ってしまったリュージュは、憎むべきステンレスのポールを鷲掴みにすると、繋がっている鎖を引き千切り、床へ投げ捨てた。見つからないように追跡しようというような配慮は全くない。破壊活動を控えめにしようという心構えも見られない。リュージュの後ろで入り口のカウンターに沿いながら移動していたアルノリドは、アークβに心から同情した。
「あ、これ丁度いいかも」
 障害物の多いフロア内を物色しながら動いていたリュージュは、乗り物らしき物体を発見した。乗り方が書いてあるプレートが引っ掛けられており、それには乗り物の名称も書いてあった。
「名称、エアロバイク。えーっとサドルにまたがって、ペダルを踏むっと」
 リュージュは図の通りにしてみたが、乗り物は全く前に進む気配がない。
「うー、あー、うー」
 必死でこぎ続けるリュージュは汗こそかかなかったが、一度に出せるエネルギーにも限界がある。彼女は最後にうめくと、ぐったりとハンドルにうつ伏せになってしまった。この乗り物は移動するためのものではない。そう気づいたときには、目指す黄色の光は遥か遠くに揺らいでいた。
 リュージュの不可解な動きにクロムは一瞬、足を止めた。エアロバイクは床から離れないように設置してあり、その車輪が前に進まないことは明らかだった。情報だけに頼ると、一番大切なことを見失う。
 同じくリュージュの様子を見ていたアルノリドは、大笑いしたい気持ちを抑えていた。音声を消していれば笑い声が届くことはなかったが、うっかりということがある。調子に乗るのが自分の一番悪い癖だと理解していたアルノリドはぐっと我慢して、エネルギーの調整をして起き上がったリュージュの後を追った。
 フロアの奥に行くにつれて障害物は少し減ってきたが、リュージュの足には床に散らばっている柔らかいマットがまとわりついた。彼女は相変わらず周囲を気にせずに、マットを蹴飛ばしながら進んでいく。黄色の光は少し強く感じるようになっていた。近づいていると確信したリュージュはにやりと笑った。
 クロムもセレンが発する黄色の光を見ていた。まだ、初期設定が終わらないようだ。あと、どれだけの時間を要するのかも全く分からない。障害物のお陰でここまで来ることができたが、このままD3フロアを歩き回っていては、いずれリュージュに捕まるだろう。クロムはD3フロアの一番奥にある階段を降り、J5フロアへ移動することにした。幸い階段は崩れてはいなかったが、致命的なまでに狭く天井も低かった。ここで追いつかれては逃げ場がない。クロムはセレンを抱きかかえると、一気に階段を降りてく。
「光が消えたと思ったら、ここにいないんじゃない!」
 ようやく階段に辿り着いたリュージュは、やり場のない怒りを口にすると、クロムの後を追いかけた。今の言葉でプールに辿り着いたクロムがD3フロア側の鍵をかけたことなど、全く知る由もない。
 さあ、困ったのはアルノリドだ。このままでは追いつくことが出来ない。かといって、今からJ5フロアに向かうのも遅すぎる。アルノリドはフロア内を見渡すと、入り口のカウンターより、ひとまわりほど小さなカウンターを発見した。これなら、いけるかもしれない。アルノリドはロボットのアームを器用に動かすと、板をカウンターから剥がし、階段に乗せるように置いた。階段の幅が狭いのが幸いして、板は綺麗に階段へはまっていた。ロボットのクローラをゆっくり動かして板の上に進むと、軋む音が聞こえたものの、それ以上の破壊音は聞こえなかった。それでもアルノリドは慎重に、下の階を目指していった。
 鍵をかけたクロムはほっと一息ついた。扉が壊されることは簡単に予想できたが、重いガラスの扉に取り付けられた鍵がかちゃりと音をたてたときに、リュージュに手繰り寄せられようとしている自分の気配を断ち切れたような気がした。
 クロムはがらんとしたプール内を見渡す。中央にあるプールに水は入っていなかった。重力装置を切るときに、傍にある貯水タンクに全て移動させたのだろう。それでもプールサイドが歩きづらいことに変わりはなく、少しでも気を抜くと滑りそうだ。彼は足下に注意しながらJ5フロア側の扉へ向かった。
 そのまま何の準備もなく扉を開けようとしたクロムは、扉の向こうに見える通路からアークβが来ることに気がついた。目の前の状況に対応するだけのクロムは、挟み撃ちの可能性など考えもしなかった。
 起動して初めて追い詰められたクロムには全く余裕がなかった。彼はセレンを庇いながら、逃げ場を探した。頭上から小さな明かりの存在を感じて、天井を見上げると、そこはガラス張りになっており、ガラスの向こうに通路らしきものが見えた。他のフロアにいける可能性がある! そう理解したクロムはセレンを連れてJ5フロア側の階段を駆け上がり、鉄骨で作られた通路へ足を踏み入れた。
 J5フロア側の扉の鍵だけが器用に壊されて、アークβがプール内へと入ってきた。時を同じくしてD3フロア側の扉が大きな破壊音と共にはじけ飛び、ガラスの破片がきらきらと舞う中、リュージュがプール内へ足を進めた。
 目指す黄色の光を上から感じたリュージュはD3フロア側の階段から、アークβはJ5フロア側の階段から通路に向かった。鉄骨の通路は上の階へ向かうためのものではなく、ガラスの天井を掃除するためのものだった。通路は狭く、その場で飛び上がっただけでは到底上の階へは行けそうにない。じわじわと追い詰められたクロムは手すりの向こうにある貯水タンクに気づいた。
 通路より少し低いが十分な広さがある。あれを足場にしたら上へ跳べるかもしれない。わずかな希望を抱きながら、貯水タンクの上に踏み込んだクロムは、がくんと身体が大きく傾くのを感じた。危険物ならともかく、ただの水を入れておくタンクが二体のアンドロイドの重量に耐えられるわけがない。鉄板が大きく歪み、クロムの足下が大きく裂けていった。彼は空いている左手でタンクの端を掴んだが、タンクはゆっくり歪んでいき、蠢く水は自分たちを飲み込もうとしている。セレンを保護するどころか、危険に晒している。クロムはセレンだけでも救おうと、右手の力だけで彼女を持ち上げた。
「セレン! 目の前にある手すりを掴んで!」
 クロムの言葉に反応したセレンは言われたとおり手を動かしたが、彼女の右手は宙を彷徨うばかりだった。まだ、実時間視覚装置のエラー修正が終わっていないのだ。クロムの力では安定した視覚を保つことが出来なかった。クロムはますます慌てた。
 そのとき、彷徨っていたセレンの手がしっかりと掴み取られた。右手が軽くなったことに違和感を持ったクロムが見上げると、アークβが彼女を引き上げるのが見えた。絶望の淵に立たされたクロムは、何もかも諦めるしかなかった。セレンは助かったが、ドゥリフターの手に渡ってしまった。自分はセレンを守りきれなかった。しかも、タンクは自分の重みでどんどん歪んでいく。クロムは機能停止を覚悟して目を閉じ、ゆっくりと左手を離した。
 落下したクロムの身体は冷たい水に飲み込まれる筈だった。しかし、彼は小さな衝撃を受けただけだった。あれだけの水はどこに行ったというのだろう。不思議に思ったクロムが目を開けると、水に濡れた金色の髪が非常灯の光を乱反射させていた。
 クロムを両腕で受け止めたリュージュは頭ごなしに怒鳴りつける。
「馬鹿か、あんたは!」
 クロムが手を離したことに気づいたリュージュは、とっさに通路から飛び降りそのまま貯水タンクへ右ストレートを叩きつけた。その亀裂から噴出した水は、次第に勢いを増しプールに流れていった。そして、彼女は水の無くなったタンクを裂いて、落ちてくるクロムを受け止めた。最初の水しぶきを受けたリュージュの回りで青白い光がはじける。生活防水のお陰で何とかショートは免れたようだ。
「無茶をするなら自分の重量ぐらい考えなさいよね! それから、最後の最後まで諦めるんじゃない!」
 クロムに説教するリュージュが、本当は一か八かの勝負に出たことをアークβは知っていた。そして、その勝負は引き分けだったことも。つまり、リュージュは自分の身を犠牲にすることはなかったが、クロムを助けたせいで手間取り、セレンの初期設定が終了してしまったのだ。キュインという音がプール内に響き渡り、セレンの瞳から黄色のエラー信号が完全に消えた。
 こうなるともう用はない。アークβはセレンをプールサイドに下ろすと、クロムのところへ行くように指示した。リュージュもいささか乱暴にクロムをプールサイドに下ろした。セレンを両腕で受け止めたクロムは混乱する思考回路を整えながら、今、一番相応しいと思える言葉をアークβに向けて発した。
「助けて……くれたことに、感謝……します」
「俺はセレンを奪っただけだから、その言葉は相応しくないな。結局、普段何を言っていてもリュージュは甘い」
 呆れながらも、からかうようなアークβの言葉に、リュージュは顔を赤くした。アークβは間に合ったはずなのに、律儀に自分との約束を守った。お互いにお人よしのように思えて、それが尚更むずむずするのだ。
「反射的に手が出ただけよ。それ以上の意図はないわ」
 クロムは戸惑いながらリュージュへ近寄った。
「本当に、何と言ったらいいのか」
「ああ、もう。何でもいいから早く目の前から消えてちょうだい! 自分の馬鹿さ加減にうんざりするから!」
 そう言うとリュージュは追い出すように、クロムとセレンをJ5フロアへ向かわせた。クロムは何度も頭を下げながら、リュージュとアークβの目の前から去っていった。しばらくして、クロムとセレンを乗せた宇宙船がコロニーを揺らして、旅立っていった。リュージュは自分の横に立っていたアークβの表情が柔らかくなり、アークαに変わったことを確認すると、前を見たまま、彼に謝った。
「……余計なことをして悪かったわね」
「いいよ、リュージュさん。大丈夫。次があるよ」
 落胆した様子の声にアークαは励ますように答えた。
「そうね、いつまでもくよくよ考えていても仕方がないわ。ここでの収穫はありそうだから、良しとしましょうか」
 その口調ほど吹っ切れてはいないようだったが、新たな悪巧みを思いついたのだろう。楽しそうに笑うリュージュの後を、アークαは歩き始めた。宇宙は広く、まだまだチャンスはある。立ち止まらずに漂っているからこそ辿り着ける場所がある。


◇ ◇ ◇


 宇宙船に乗り込んだクロムから通信を受けた博士は、彼に労いの言葉をかけると通信機を置いた。暗く狭い研究室に安堵のため息が浮遊する。それを見計らって助手が熱いコーヒーを持ってきた。先日の会議で博士の後任に決まった青年は、不思議そうに博士に問いかける。
「スターム博士。どうして、あんな辺境で起動実験を行うんですか?」
 彼の手からカップを受け取った博士は、ミルクと大量の砂糖を入れて器用に混ぜた。ミルクが作り出したマーブル模様が消えた頃、博士は助手へ話し始める。
「自己学習プログラムも人間相手では上手く働かないからだよ。生まれてからずっと人間社会にいると、自分の事を人間だと思い込むペットもいるだろう? それでは困るんだ」
「だからって、ドゥリフター相手にこんな面倒くさいことを続けなくても良さそうなものじゃないですか。今回は結果的に上手くいったかもしれないけれど、E24の調整はそりゃあもう大変だったんですよ。もっと手軽な方法はないんですか?」
 どうやら彼はお尋ね者が気に入らないようだ。けれど、このやり方に慣れて貰わないと困る。次のテストからは彼が責任者なのだから。博士は合成コーヒーをすすりながら、ドゥリフターについて語りだした。
「彼らだって最初から違法アンドロイドだった訳ではないよ。表層プログラムが消えずに多重人格のようになったり、強化学習の偏りが原因でひとつの行動に執着するようになったりしただけだ。まぁ、今となっては最高の反面教師だな。白紙状態の自己学習機能はどんどん目の前の状況を吸収しようとするから丁度いい。今回みたいに三体も重なるとは思わなかったけれどね。その分、今回の学習結果は期待できる」
 怪訝そうだった助手の表情が、困惑の色を帯びてきた。元凶は目の前の人物かもしれないと彼は思ったが、口には出さなかった。代わりに別の質問をする。
「いつか、一体くらい奪われませんか?」
「別にいいよ。経費で落とすから」
 けろりと答える博士に、助手は恐る恐る本心を呟いた。
「何だか博士が一番、悪役っぽいですね」
 こんな小さなことで目くじらをたてても仕方がない。博士は悪役に相応しい表情でにやりと笑うと答える。
「来月からは君の仕事だよ」
「自信、ないです」
 がっくりと肩を落とした彼は小さな声でぼそぼそと言った。
「すぐに慣れるさ」
 博士はごちゃごちゃした机の上から器用に平地を見つけると、そこにカップを置いた。そして、再び漂流し始める彼らに、朗報を伝えるために端末を操作した。


◇ ◇ ◇


「情報が入ったわ。第3ラグランジュ・ポイントで識別番号E50とE52の起動実験あり」
 今までの移動手段だと、もう出発しなくては到底間に合わない。だが、リュージュはのんびりとしていた。アークαもそのことに異論はなかった。
「ところで、あれはどうするの?」
 アークαが指差した先には、リュージュが破壊した扉の破片を集めるロボットがいた。
「別に壊しても構わないけれど、ね」
 つかつかとロボットに近づいたリュージュは、その丸い身体を鷲掴みにする。
「クロムは三体の人工物が移動中と言ったわね。つまり、このロボットが私たち以外の侵入者ってこと。目的は分からないけど」
「これ、自立型じゃあないよね」
 アークαが面白そうに顔を近づけてくるので、アルノリドは必死で普通のロボットのふりをした。
「サイズから考えて遠隔操作型ね。クロムと同じ船に乗ってきたのかと思ったけれど、そうじゃないみたいだし。そうすると不可解な点がひとつあるわ」
「何か変なの?」
「あれだけ移動したのに、ぴったりとついて来ていたのよ。そんなの、優秀なコンピュータでなければ簡単にできることではないわ。例えば、高度な技術で作られた宇宙船とかね。そんなものどこかにあったかしら?」
 アルノリドはもう我慢ができなかった。随分長い間、このコロニーに足止めされていたので、これだけ注目され褒められたのは久しぶりだった。さらに、彼は優秀とか高度とかいう言葉に弱かった。
<そう! 私が宇宙船スプートニク666の優秀なメインコンピュータ、アルノリド!>
 つい、声高に名乗ってしまったアルノリドを、リュージュは高笑いしながら見下ろした。
「おーほっほっほっほ! 意外と簡単だったわね」
 しまった! 誘導尋問か。アンドロイドのくせに何て高等技術を使うんだ!
 自分の失態に気がついたアルノリドはうろたえたがもう遅かった。船の名前を出したことで、アークαに宇宙船の存在を思い出させてしまった。
「あれか」
 苦悩の表情を浮かべるアークαに、リュージュは問いかける。
「知っているの? アークα」
「さっき、ライトさんを隠しに行った船だよ。扉が開いていたから丁度いいと思ったんだけどさ。名前だけじゃなくて中身も変な船だと知っていたら、関わらなかったよ」
<そこのお前。さっきから変だ、変だって失礼なんだよ!>
 やけになったアルノリドの言葉を無視して、リュージュはアークαに話しかける。
「スプートニク666ね。確かに変わってる名前だけど、悪魔の番号を持つ旅の道連れなんて面白いじゃない。それ、どこにあったのよ」
 楽しそうなリュージュをもはや止めることはできない。アークαはしぶしぶ答える。
「動力ゾーン。A9フロア近くの通路」
 落胆しているアークαに道案内をさせて、リュージュは来た道を戻る。アルノリドが作った足場を壊す時も彼女はご機嫌だった。鼻歌まで歌いそうな勢いだ。
 ロボットを鷲掴みにしたまま、リュージュは宇宙船スプートニク666の前に立った。
「それじゃあ、アルノリド。船内を案内して貰えるかしら?」
<別にあんたたちを運ぶと言ったつもりはない>
 リュージュはその言葉を聞くと、左手で足下に転がっていた鉄くずを拾って、大きな音がするまで握りしめた。無機質な床にぱらぱらと落ちる鉄の粉。アルノリドが思わず、画像を拡大したのが分かったのか、リュージュはふふんと鼻で笑った。
「音声に乱れが出ているわよ。燃料が足らないんじゃなくて? 目の前の動力源を見逃す趣味があるのなら、無理にとは言わないけど」
<足りません。どうぞお乗りください>
 もう何でもいいからここから離れたいと願ったアルノリドは、途端に低姿勢になった。リュージュは自分が優位に立ったことを確認してにやりと笑った。
「アークα。運んで」
「何で僕が」
 高飛車に命令するリュージュに、アークαは不機嫌な表情を浮かべた。そんな彼にリュージュは意地の悪そうな笑いで答える。
「私にガラクタを運ぶ趣味はないの。中にライトがいるんだから、もちろんアークαは行くでしょう?」
「そうだ。ライトさんを返せ」
 がしがしとロボットを振るアークαに、アルノリドもここぞとばかりに文句を言う。
<あんたが勝手に置いていったんじゃないか>
 目の前にいるのは、極悪非道なアークβではなくて、能天気なアークαだ。そうだこっちには人質がいる。アルノリドはまた調子に乗ってしまった。最後の力で、これ見よがしに扉を閉めると、脅迫めいた言葉をアークαに突きつける。
<返して欲しかったら、それを運んで来い>
 沈黙が辺りを包む。アークαが低い声でぽつりと言う。
「……ねぇ、リュージュさん。後で修理するから、この扉、壊してもいい?」
 アークαらしくない言葉に、リュージュは満面の笑みで答えた。
「いいわよぉ。折角だから、少しリフォームしちゃいましょう」
<待て待て待て。待ってくださーい!>
 アルノリドの制止は完全に無視され、破壊音と共にスプートニク666の扉は飴細工のように芸術的な曲線を描いた。宇宙船の中に入り、ライトが入った小さな箱を取り戻したアークαは安心して、リフォームの材料を探しにコロニー内へと向かった。痛みは感じないものの、色々な意味でダメージを受けたアルノリドに、リュージュは言い忘れていたけれど、と前置きをして言う。
「あの子、ライトが関わると見境なくなるの。覚えておいたほうがいいかもね」
<そういう事は早目に言ってください>
 涙があったら、号泣しているところだ。アルノリドは一番新しい記録を付けた。ドゥリフターは根っからの悪ではないかもしれないが、悪役をさせられていることには間違いない。そして、悪役には悪役たる理由がある。悪に走らなければならない理由と、悪と呼ばれるに相応しい理由が。
 これ以上、大胆なリフォームを行われないためにも、アルノリドはその記録に最重要マークを付けておいた。彼の落ち込みとは関係なく、着々と出発の準備は整っていく。アークαが起動炉に入れた雑多な部品がエネルギーに変わっていくのが分かるし、扉の修復も終わったようだ。ようやく落ち着いたアルノリドはサブコンピュータを起動させ、第3ラグランジュ・ポイントへの航路を調べ始めた。
 宇宙は相変わらず、音も無く静まり返っている。アークαとリュージュは好き勝手に船内を歩き回っていた。手を組むしかなかったとはいえ、これで自分も立派な悪役だとアルノリドは空しい現実を受け止めた。少しは戦闘マニュアルを読み返しておいたほうがいいかもしれない。
 しかし、アルノリドの予想をはるかに上回る事態が起きるのは、これからだった。第3ラグランジュ・ポイントに向かう途中、巡視船に発見された宇宙船スプートニク666は、アルノリドの学習成果のもと華々しい戦闘を行い、その結果、第一級危険物に指定された。
 宇宙船初のドゥリフター認定というありがたくない肩書きに、アルノリドは完全に開き直り、二重人格と破壊主義のアンドロイドを乗せて宇宙を漂流し続けることを決意した。
 ようやく目的のコロニーの懐に入り込むことに成功した宇宙船スプートニク666の中で、アルノリドはのんびりと身支度をしているリュージュを急かしていた。
<ああ、もう。早く行ってくださいってば。追っ手が来てしまいますよ>
「うるっさいわね。来たら来たでぶっ壊すから問題ないわよ」
「エネルギーになりそうなものがあったら持って帰ってきてあげるね、アルノリド。それまでライトさんをよろしく」
 アークαの言葉を聞いて、アルノリドの態度はころりと変わる。最初は天敵のようにいがみあっていた彼らだが、今では随分仲が良くなっていた。容赦ない戦闘を繰り返すアルノリドをアークαが無邪気に褒め続けた結果だった。
<まっかせて下さい。万が一のためにワープの準備もしておきます>
「さっすがアルノリド。僕には真似出来ないよ」
<そうでしょう。そうでしょう>
 上機嫌になるアルノリドを見て、リュージュはアークαをアルノリド担当にして正解だったと、ほくそ笑んだ。そうやって自画自賛するところが彼らは良く似ている。
「じゃあ、行ってくるね」
<行ってらっしゃーい>
 二人を見送ったアルノリドは、追っ手が来ないか監視を始めた。名前が有名になればこちらも追われる身になるのは当然のことで、もう覚悟はできていた。応戦出来るのならエネルギーを奪い取り、出来ないのなら逃げるだけ。そう考える自分は物騒な仲間に影響されただけだとアルノリドは信じていたが、彼にも素質があったと言える。そんな訳で、今日も真っ暗な宇宙で壮大な鬼ごっこが繰り広げられ、ドゥリフターたちの名前は全宇宙に響き渡っていく。
 
                                                 (了)
 


参考文献

 新井健生監修.図解雑学 ロボット,ナツメ社,2005.
 長田正.ロボットは人間になれるか,PHP研究所,2005.
 武部俊一.宇宙開発の50年,朝日新聞社,2007.
 渡部潤一監修.宇宙ロマン 太陽系と生命の謎にせまる,ナツメ社,2006.

あとがき

 すおう様主催の競作企画、「Villain」参加作品です。
 2007/12/01から2008/02/22まで開催されていました。跡地はこちら→

 「悪人・悪役・敵役」 今回のテーマの中で私が選んだのは悪役でした。
 悪人はもうちょっと血なまぐさいイメージがあるし、敵役はどうしようもない感情と過去が渦巻いていそうです。
 ぞくぞくするような悪も書いてみたいけれど、まだ無理でした。深いテーマだなと唸りながら書き進めました。
 お人よしな悪役が好きです。間抜けなんだけど、つい大きな力を持っちゃったみたいなところは譲れません。
 憎まれっ子世にはばかるというよりは、Weeds never die. というほうが相応しい、たくましい彼ら。
 そんな悪役たちの鬼ごっこを、くすりと笑って頂けたら幸いです。
 最後になりましたが、この機会を与えてくださったすおう様、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。


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