Prisoners Drifters→ |
Prisoners (プリズナーズ) |
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窓のない部屋で様々な色の光が交差していた。聞こえてくるのはコンピュータの作動音と覇気のない話し声。プロジェクトチームのメンバーは、ガラスの向こう側に横たわっているアンドロイドから送られてくるデータをただ無言で見続けていた。 開発途中の新型アンドロイドに旧型アンドロイドの人工知能を使用するという、極めて簡単な実験だった。ゆえに誰もが目の前の結果を受け止められずにいた。しかし、何度スキャンを行っても様々な波形が絡み合っている結果は変わらない。困惑の表情を浮かべる彼らの横で、若い研究員が控えめに声を発する。 「クレイグ教授。調査結果が出ました」 「読み上げてくれ」 言いづらそうな彼の様子を見て、白髪の混じり始めた男性が促がす。研究員は小さく息を吸い込むと、絞り出すように文字を読み上げる。 「今回使用された人工知能は、量産A型。一般家庭教育支援専用、男性体です」 「それで、言語能力が高めだったのか」 ざわざわと辺りが賑やかになる。遠目では人間と変わらない量産アンドロイドは、広く普及していた。一般家庭用というのも珍しい話ではない。興味は別の方向へ向かっていく。 「教育支援というと?」 「早い話が子守だな。確か、子供の成長に合わせて、人格プログラムが設定変更可能になっているはずだ。このアンドロイドもそうだろう?」 クレイグ教授が研究員に視線を移すと、彼は小さく頷いた。 「使用年数は十二年。内、七年を児童対象人格で過ごしています」 ようやく最後の一行を読み終えた彼は、安堵のため息をつく。教授もそれ以上の報告はないと判断して、話を進めることにした。 「つまり、切り替えた筈の児童対象人格が、人工知能を新型に埋め込んだことによって復活し、二つの人格が交互に現れることになったということだな」 「プロトタイプとはいえ、新型に不備があったとは思えません。それが原因で間違いないでしょうね」 クレイグ教授の言葉に、誰も異論はなかった。自分たちの不手際ではない。誰もがそう思いたくて、データを見ていたようなものだった。しかし、教授はこの後のことも考えなくてはならない。 彼はガラスの向こうに視線を移した。床には計画性のないまま繋げられたコードが生き物のように横たわり、その先にアンドロイドが横たわっている。完成型に近いプロトタイプは一目で実験台と分かるように、銀色の髪をしていた。それさえなければ、人と見間違うほどの外見。そして機能的には無限の可能性を秘めているはずだった。 アンドロイドが一般に普及して十年が経とうとしている。永遠の命を持つように思われていた時代もあったが、しょせん機械は機械。細かな部品を取り替えたところで、十年以上起動しているものは数えるほどしかない。しかし、人は自分と同じ姿をしたもの簡単に捨てることが出来なくなっていた。 かくして、地球には動かなくなったアンドロイドが積み重ねられ、辛うじて動くものは月に運ばれていき、単純作業を与えられた。次々と生産されるアンドロイドと、廃棄出来ないアンドロイド。この悪循環を解消するため、量産アンドロイドの人工知能を組み込むことが出来る新型アンドロイドが考案された。現在、人工知能はそれほどの進化を求められていない。人より優れている人工物は必要ではないからだ。 一番処理に困る人工知能を再利用することが出来る。企業イメージの向上も伴って急ピッチに計画は進められていった。そして、このまま何の問題も起こらずに、起動実験は終了するはずだった。人工知能の選択さえ間違っていなければ。 この思いもよらぬアクシデントに、彼らは議論にもならない言い訳を空しく続けるしかなかった。保身と責任の擦り付け合いが教授の目の前で続いていく。 「だからあまり古いものを使うことに反対していたでしょう」 「量産A型さえ上手くいけば、全ての量産型に適応できる。多数決で決まったとはいえ、決定事項には違いありません。このまま、ただ失敗したと報告出来る訳がないでしょう」 「困ったな。このままではスターム博士の計画が進められてしまう」 「学習によるプログラムコピーか。あれでは癖や表情は継承することが出来ても、本来の目的は果たせない」 「だから、こちらが有利だったよ。今までは、ね」 誰もプロトタイプの今後を話し合わない。自分の役目を終え、ただ眠りにつこうとしていた彼をこちらの都合で動かしているというのに。それにクレイグ教授はプロトタイプを諦めたわけではなかった。 「失敗と報告するのは早急過ぎるだろう。人格プログラムの統合さえ出来れば、新たなデータ収集も可能だ」 とにかく、廃棄だけはさけなくては。一人の博士がクレイグ教授の真意に気づいているのか、教授の言葉に同意する。 「それもそうだ。もし、統合が不可能でも二つある人格プログラムの片方を消せばいい」 その言葉が誘発剤となって、議論はどんどん進んでいった。 「実験に有効な人格を選ぶのか? 世論はどうする」 「地球ならうるさいだろうな。だが、月なら?」 「ああそうだ。月ならそれほど細かいことは言わないだろう。なんといっても日常茶飯事だからな」 「そういえば、月にはバートン博士がいただろう」 「ああ、あの人間機械論の」 人間も機械と同じ。仕組みを持って動いているだけ。以前からあった説だが、バートン博士はそれを極論にまで突き詰めた。彼はアンドロイドに対する心脳同一説ですら、所詮人も同じだと切り捨てる。そして、月へ追放された。 「多少荒っぽいところはあるが、適材適所かもしれないな」 「調整にしばらく時間がかかるが、このままでは正確なデータをとることも出来ない。やむを得ないな」 失敗を認めたくないのは誰も同じだ。何度か休憩を挟み、とにかく先のことを考えようと意見はまとまった。完全に他力本願的な方向で。 月のバートン博士には、思ったより簡単に話が伝わった。それから数日後、プロトタイプの輸送計画が確定した。圧力をかけたのか、向こうの無理難題を聞いたのかは分からない。経過は問わない。これからは結果を出すだけだ。教授は自分にそう言い聞かせると、プロトタイプの待つ部屋へ入っていった。 「調子はどうかな? アークβ」 上体だけ起こしたプロトタイプにグレイグ教授は話しかけた。アークβはゆっくりと首を動かすと、グレイグ教授を見上げる。少しの間、動作が止まり、データの照合をしているようだった。アークβは右腕をまっすぐ伸ばすと、指を一本一本曲げていく。そして、腕を下ろし周囲を見渡した。関節の作動、視覚、聴覚の確認を終えると、彼は教授に視線を戻す。 「調子は良いです。アークβというのが俺の新しい名前ですか?」 回答速度は悪くない。教授は満足そうに頷くと、アークβへ歩み寄った。 「現在、君の人工知能は二つの人格プログラムを交互に作動させているからね。便宜上、君のことはアークβ。もう一人の君のことはアークαと呼ばせてくれ。他にも色々不便だとは思うが、しばらく我慢してほしい。来週、君には月のバートン博士のもとに行ってもらう。私は彼なら君を正常に治してくれると信じている」 一度に与える情報量はすでに決めていたことだった。教授はアークβの様子を見ながら、説明を続ける。 「それから、月には月の規則がある。アンドロイドは全て固有名称のスペルで管理されている。君たちのスペルはArc−α及びArc−βだ。月面管制システム<キーラ>には君のスペルを渡しているから、彼女の指示に従ってくれ」 「了解しました」 アークβが答えたとき、扉が開いて研修生が部屋へ入ってきた。 「クレイグ教授。案内役のスペルが届きました」 「ああ、丁度よかった」 研修生からスペルを受け取ると、教授はアークβへ、やや芝居がかった明るさで伝える。 「月での案内役は、ライト。スペルはLight。量産L型だな。自己主張は強いが美人だぞ」 そんなことは何の救いとならないことは分かっている。それでも教授は心をこめて、彼への言葉を発した。 「長い旅になると思うが、無事に戻ってくることを願っているよ」 「はい」 機械的な返事を残して、アークβは部屋から立ち去っていった。彼はこれから、気が遠くなるほどの検査を受け、月へ旅立つ。教授は閉じられた自動扉をじっと見続けていた。 「大切なプロトタイプをあっさり手放すのですね」 研修生の言葉に我に返った教授は、気乗りしない様子で説明する。 「ああ、君は知らなかったか。量産初期型には特殊なプログラムが組み込まれているんだ。私たちが、宇宙から地球を見て懐かしいと思うように、あれも地球に特別な感情を抱くように作られている。望む望まないに関わらず、必ずこの水の惑星に戻ってくる」 「水の惑星。彼らにとって水は何のありがたみもないはずなのに、奇妙なプログラムを作り出したのですね」 「宇宙空間で脱走しても地球に戻ってくれば問題ないだろう? コロニー建設時代の名残だよ」 建設ラッシュの続いたコロニーは、住みづらいという理由から、数年で廃墟と化していた。物を作り出すのは時間がかかっても、壊れるのは一瞬だ。開発の犠牲になったアンドロイドの数は歴史に残されることはない。 「残酷なことをしますね」 「所詮、道具だからね。ただ、私も時々分からなくなるよ。自分の家にいるアンドロイドと街中で会うアンドロイドに性能の差はない。どこからが道具でどこからが家族か、線を引くことは可能なのだろうかとね」 教授の独白めいた呟きに、研修生はかける言葉を見失った。教授は息を軽く吐くように笑うと、アークβが出て行った扉とは違う扉へ向かった。 「感傷はここまでにしておこう。新しいプロトタイプを作らなくてはな」 「プロジェクトチームは縮小されると聞きましたが」 「そうみたいだな」 「そんな人ごとのように」 所詮、寄せ集めのプロジェクトチームだ。責任者といっても教授に大きな権限はなかった。関われる出来事が少なくなると、自分の事ですら無関心になる。 「まあ、スポンサーが下りないかぎりは実験を続けさせてもらうさ。私は人工知能そのものを組み込むことを諦めたわけではないからな」 「どうしてですか?」 不思議そうに聞いてくる研修生に教授は、教科書を読み上げるように答える。 「人は同じ空間を生きる擬似生命を作り出したとき、己と姿を同じくするものを求めた。技術の向上と比例して、アンドロイドは急激に人に近づいていった。しかし、姿はどれだけ似せることが出来ても、彼らの感情は我々のものとは全く別の方法で生み出されている。あたかも同じように見せられているだけで」 「それは大学でも習いました。けれど、分析できないデータなどありえません」 研修生に頷きながら、教授は続きを口にする。 「ひとつひとつならそうかもしれないな。だが、データは絡み合っている。これからも今回のような事例は起きるだろう。人工知能にはまだ無限の可能性がある。学習機能があるものならなおさらだ。そういえば、彼には特殊な案内人がつくそうだよ」 「どんなふうに特殊なのです?」 個性が際立ってきた昨今、特殊なアンドロイドと言われても研修生にはピンとこなかった。 「人に近い感情表現をするアンドロイドらしい。バートン博士からの交換条件でね」 「人に近い感情……それは、月では特殊過ぎませんか?」 「そうだろうね。人と接することが少ない上、ドーム外での作業が多い。彼らに人のような権利は与えられなかったからね。地球はまだましなほうだ」 他の星より近く見える月。それでも、月の現状は地球からでは分からない。見えているものが全てではないのだ。 「月は、遠いですね」 助手の言葉を受けて、教授は小さな丸窓に納まっている夜空を見上げた。 次の新月の日、彼は月へと運ばれる。丁度、月面からは満地球(フルアース)が見えるだろう。地球は、そして月は彼の目にどんな風に映るだろうか。 今は、せめてこの光が優しいものであるようにと、願うことしかできない。 ◇ ◇ ◇ 暗闇の中、聞きなれた声が響く。瞳を開くと、薄ぼんやりとした輪郭が見慣れた姿に変わっていった。だが、視点は定まらない。 「さっさと起きなさい。節電している場合じゃないわよ。ライト!」 けたたましいとも言えるブザーの音にも負けない大声に、ライトは節電モードを解除する。 「そんなに急いでどうしたの? リュージュ」 目の前にいる自分と同じ顔をした女性型アンドロイドは、がっくりと肩を落とした。彼女の両手が自分の肩にかけられていることで、揺さぶられ続けていたことにライトは気づいた。 「あんたが呼び出しに答えないから、キーラがヒステリーおこして、このエリア全体に呼び出し音を鳴らしてるのよ。うるさいから早く黙らせてちょうだい」 うんざりとしたリュージュの様子からいって、かなりの時間、この騒音は流されていたようだ。ライトは立ち上がると自動扉の前に立った。 「月面管制システム、キーラへ。スペル、Light。呼び出しに応じます」 開いた扉から、白い廊下にけだるそうに顔だけ出すと、ライトは天井に声を発した。 <確認しました。至急、F−4696通路へ> 「了解しました。すぐに向かいます」 静かになったことを確認すると、ライトは部屋へ振り返った。その後ろで自動扉は閉まり、ライトは大きく伸びをした。 窓のない部屋で幅を利かせているリクライニングチェアに寝そべり、リュージュはウェーブのかかった金色の髪を指に巻きつけていた。彼女はいつも、わずかな休憩時間をライトの部屋で好き勝手に過ごす。ライトが節電モードに入る前に、消していたはずの室内灯は明々と点いていた。 「通信は切れたの?」 「うん、ごめんね。時間が来ると、節電モードを解除するようにしていたんだけど、タイマーが上手く作動しなかったみたい」 状況説明をしながら、自分の重みで皺になった衣服を見て、ライトはクローゼットの扉に手をかけた。あまりに悠長な動作に、時間にうるさくないリュージュもつい、口をはさんでしまう。 「まさか、今から着替えるつもり?」 「うん」 ライトはにこりと微笑むと、選んだ服の束を両手で引っ張り出した。クローゼットからごっそりと引き出された、二十着はあろうかという服の山。そして、それに頭を突っ込んでいるライトにリュージュはあきれ返った。息継ぎをするように、上半身を起き上がらせたライトは、ひとつひとつを身体にあてて、確認している。 「どれにしようかな」 そう言ってライトが見ている服は、どれもこれも似かよっていた。真剣な表情に、意味がないとは言えず、リュージュはぽつりと呟いた。 「微妙な色違いね」 「支給された服って大体似てるから、いつも困るの。あ、これはどう?」 それは、ライトの唯一のお気に入りだった。リュージュは苦笑いを浮かべるしかない。 「この状況で、さりげなく勝負服を選んでるあんたが、訳分からないわよ。さっきキーラにすぐに行くって言ってなかった?」 「まあ、言ったけど。地球から来た調整待ちアンドロイドの案内人としては、ちょっとくらい身だしなみを整えないとね」 その答えにリュージュは吹きだすように笑いだした。 「あんたらしい遅刻の理由だわ。だけど、果たしてキーラに通用するかしらね」 「多分、通用しないと思う。でも、キーラは今頃、次の仕事の処理に向かっているでしょう? 彼女、ひとつの仕事をしだすと、他のことはおざなりになるから。また呼び出された時、私はF−4696に着いてるから、大丈夫」 飄々としたライトの態度に、リュージュの笑いは止まらない。けたけたと笑いながら、着替えが終わったライトと一緒に廊下に出ていくリュージュはすっかり上機嫌になっていた。 「確かにそれじゃあ、全く問題がないわね。そうそう、今日こそは早く仕事を終わらせて帰ってきてよ。準備が間に合わなくなるわ」 準備という言葉に、ライトは少し真剣な面持ちでリュージュに問いかける。 「リュージュは早く帰れそう?」 「多分ね。昨日来た地球便の荷物、予定より随分少なかったから。あの忌々しい満地球(フルアース)の下で、さっさと仕事を終わらせるわ」 腕まくりをしかねない勢いに、ライトは遠慮がちな微笑みを浮かべた。 「私も出来るだけ早く帰るようにするね。じゃあ、また後で」 二人はそこで別れ、白い通路を反対方向へと歩いていく。固い足音が余韻を残しながら、フロアへ広がり、そして消えていった。 数分後予告どおり、キーラの呼び出しが再開されるより早く、F−4696通路に辿り着いたライトは周囲を見渡した。場所は間違っていないようだが、案内をする相手は見当たらない。 廊下の壁に背中を預けてしばらくぼんやりとしていると、白い壁にぽかりと穴が開くように扉が開いた。そこから出てきたアンドロイドの特徴と、先日キーラから与えられていた情報を照らし合わせ、ライトは彼の前に立った。 「はじめまして。量産A型、アークですね。私は月での案内をする量産L型、ライトです。よろしくお願いします」 形どおりの挨拶の後、営業スマイルを浮かべ手を差しのべるライトに、アークβは不機嫌そうに答える。 「案内? 監視の間違いじゃないか?」 いらいらとしたその様子に、ライトはあっさりと手を引っ込めた。そして、先ほどとは全く違うざっぱくらんとした口調で若干不躾な質問をする。 「何か嫌なことでもあったの?」 「あの博士、散々調査した挙句に俺からの質問は受け付けないだとさ。着いた途端、コードに繋がれて身動きは取れないし、不快どころの話じゃない。ここは最低な所だ」 アークβは無機質な床を見ながら、吐き捨てるように答えた。月での第一印象は最悪だったようだ。ライトは自分の星を最低と言われたにも関わらず、けろりとして答える。 「うーん、私は人と直接関わったことがないから良く分かんないんだけど、質問にすぐ答えられないということは、演算能力が不十分ってこと。で、自分より能力的に劣ったものに固執しても、生産性はない。つまり時間の無駄じゃないかな?」 人と関わったことのないアンドロイドは、服従プログラムが動作しないのだろうか。人を機械のように扱う彼女に、アークβは驚きの表情を浮かべたが、すぐに面白そうにライトを見た。 「随分ストレートな言い方をするんだな」 「気に入ってもらえそう?」 ライトはにこりと微笑んだ。つられてアークβは苦笑いをする。 「少しは面白くなるかもしれない」 現段階では最大の賞賛だと判断して、ライトは次の行動に移ることにした。 「じゃあ、そろそろ出発しよう。何か見たいもの、ある?」 「ああ、それなら地球が見たい」 遠い目をして答えたアークβに、ライトは哀しそうな表情を浮かべた。 「言いづらいんだけど、ここでも十分見えてない?」 アークβは小さなガラスの向こうに広がる、暗闇の宙(そら)を見た。月面の乾いた大地に削られるように小さく見える地球の欠片。これが、今見える帰るべき場所だった。 「折角の満地球(フルアース)を半分だけ見ても仕方ないだろう」 折角のフルアース。忌々しいフルアース。 アークβとリュージュの言葉を繰り返して、ライトは俯いた。経験によって個体差は生まれる。それは、仕方のないことなのだとライトは何度も繰り返し記憶させた。 「そういうことならまかせて。一番丸く見えるところに案内してあげる」 ライトはすぐにルートを検索すると、無機質な通路を歩き始める。アークβはライトの後に少し離れて歩いた。真っ直ぐな道があっても、ライトは進まない。曲がり続けた結果、今、何処にいるのかアークβには全く分からなくなっていた。 「随分、入り組んでいるんだな」 ライトは前を向いたまま、早口で説明を始める。 「黙っていても分かることだから、早めに言っておくわ。地球から来たアンドロイドには立入禁止区域がいっぱいあるから、近道出来ないの」 「ああ。月には月の規則があるとは聞いている。予想の範疇内だ」 「そう? だけど、今から見るものは予想の範疇内にはないね、きっと」 アークβの言葉に重苦しく呟くと、ライトは唇を軽く噛み締め、小さな扉へと入っていく。 「慣れないだろうけど、ちょっと我慢してね」 今までと全く変わらない様子の白い自動扉の向こうにあるのは、放射状に広がるベルトコンベアの通路だった。ライトは迷うことなく、一つの通路に足をすすめる。動く道に慣れないアークβはバランスをとりながら、ライトの背中を追った。 薄暗い通路の先に広い空間が見えてきた。ふと、隣の通路が近くなり、その上に乗っているものを見てアークβは目を丸くした。それは紛れもなく、自分を形成しているものと同様のものだった。 「ここが工場の中心よ」 何体ものアンドロイドと様々な刃を持つ機械が並ぶ空間は、異様な熱気が充満していた。軋む音と形をなくしていく身体。この工場は、創造ではなく解体するためのものだった。 「月でアンドロイドが動き回るには、ここを通る必要があるの。嫌なら元の場所に戻るから早く言ってね」 「いや、きちんと見ておく。見せたいからルートに入っているんだろう?」 アークβは表情を固くしながら、しかし、はっきりと言った。彼はまだ、この先のことを知らない。自分と同じように見えるように作っておきながら、違うものと思い知らせたい。人の複雑さをライトは理解出来ずにいた。彼なら分かるのだろうか? ベルトコンベアが解体されるアンドロイドの搬入口に近づくと、一体のアンドロイドの動きにアークβは絶句した。ライトと同じ顔をしたアンドロイドが、次々と運ばれてくる動かないアンドロイドの腹部に腕を突き刺し、拳ほどの部品を取り出している。 「あれは一体何を……」 あまりの光景にアークβはそれ以上言葉を繋ぐことが出来なかった。 「あれは、使える人工知能を取り出してるの。酷いように見えるけど、あの方法が一番効率的で、安全なんだって」 解体作業を一旦終えた彼女がライトに気づき、こちらに向かって大きく手を振った。 「知り合いか?」 小さく手を振り返すライトに、アークβは聞いた。 「うん。私がリュージュにあの仕事を紹介したの」 「君が?」 「それが私の仕事だから」 目を伏せるライトは必死で何かに耐えているようだった。アークβはかける言葉を見失い、再度、流れてくるアンドロイドの解体作業を見守った。 「案外、適材適所だったかもしれないな。生き生きとしている」 ライトはその言葉に後押しされるように、リュージュを見た。そういえば、しっかりと彼女の作業を見るのは初めてだった。 楽しそうというのは間違ってはいなかった。リュージュは、もう少し近ければ高笑いが聞こえてきそうな表情を浮かべ、嬉々として腕を振るっている。もしかしたら、本当に高笑いしているかもしれない。 力のない笑いがライトからこぼれていく。身体からも力が抜けていき、ライトはベルトコンベアの床に座り込んだ。 「……リュージュ、あなたってどうしてそうなの。責めてくれたら少しは楽なのに」 床に手を付いて、下を向いているライトの瞳から小さな水滴が落ちていった。その正体が分からず、アークβは確認するように問いかける。 「涙?」 そんな訳はない。泣くアンドロイドなどいない。涙腺があるわけがないのだから。 アークβの静かな混乱を察して、ライトは零れ落ちる水滴を拭うこともせずに笑いかけた。 「感情システムが暴走すると、冷却ファンが回りすぎちゃうの。それで、視覚システム付近の空気が冷やされて水滴になる。だから、これは涙じゃないわ」 茶色の髪を梳いて、アークβの指がライトの頬へ辿り着く。冷たい涙をすくわれて、ライトは戸惑い、アークβの顔を見上げた。 「細かいことは分からないが、生活防水してあるとはいえ、水は大敵だ。あまり流さないほうがいい」 彼の視線が近すぎて、ライトはパニックを起こした。ぱっとアークβから離れ、進行方向とは逆に立つ。その反動で旧式のベルトコンベアは揺れ、アークβはバランスを崩して後ろにひっくり返った。 「ご、ごめんなさい!」 すぐに我に返ったライトは彼の前へ戻り、手を伸ばした。彼女が下を向いた途端、拭いきれていなかった雫は頬から離れ、彼の額に落ちた。 これ以上、謝罪の言葉は見つからない。どうするべきか必死で考えるライトに彼は手を伸ばした。 「それにさ、そんな顔して流すなら、やっぱりそれは涙なんじゃないかな?」 彼の指の隙間から見える表情に、先ほどとは違う、どこか子供じみたものが見える。選ぶ言葉も声のトーンも違う。不思議そうに自分を見るライトに気づき、彼はにこりと笑った。 「こんにちは、ライトさん。僕はアークα。よろしくね」 ◇ ◇ ◇ 「で? その二重人格に惚れてしまったと?」 リュージュは慣れない手つきで棺の中にあるボルトをしめながら、興味なさそうに言った。その隣で正座をしたライトは頬を膨らませる。 「可笑しいなら、さっさと笑ってよ」 暗い倉庫の隅で監視の目を盗んで、月から脱走する準備をしている割にはのんきな会話だ。リュージュは苦笑いすると、一旦手を止めた。このままだとライトは何もしない。とにかく話を終わらせてからにしよう。ふっと息をつくと、リュージュは工具を床に置いた。 「馬鹿馬鹿しすぎて笑う気もおきないわね」 「友達なのに、もっと優しい言葉はないの?」 「職を紹介してくれたのは感謝しているけど、友達になった覚えはないわ」 冷たく言い放つリュージュにライトは全く動じない。 「じゃあ、今日が友達記念日ね。忘れないでね」 「人の話を聞け」 「なあに? 何でも言って。友達だから遠慮はいらないわ」 完全にライトのペースに巻き込まれ、リュージュはがっくりと肩を落とした。 「ああ、勿体無い。こんな話だって分かっていたら、キーラの監視区域ですれば良かったわ」 「どうして?」 「カメラの前でするには最高の話題だったわよ。脱走なんて考えているようには絶対に見えないから」 ふと、ライトから微笑が消えた。膝の上で握った拳が小さく震える。 「私のこと、憎んでる?」 「何でよ」 「だって、今の仕事がなければ普通に暮らせたでしょう?」 上目遣いで伺うように自分を見るライトに、リュージュは大きくため息をついてみせた。 「能天気で私の話なんて全く聞いていなくて、憎たらしいとはいつも思っているわよ」 「そんな遠まわしじゃなくて、嫌いなら嫌いだってはっきり言ってよ」 食い下がるライトから目線を外し、右手を額にあてて天井を見上げたリュージュは、勢いをつけて手を下ろすと、ぶっきらぼうに言い放つ。 「傍にあっても気にならないか、いっそ壊したいと思うか、どちらかしかないわよ。私には」 「私はどっち?」 「そういうことは聞き返さないの!」 「だって、ちゃんと聞かないと、安心できないもの」 照れまくるリュージュに、ライトは口を尖らせながら言った。 「ああ、もう面倒くさいわね。私だって、あのままだったら廃棄処分になったのくらい分かっているわよ。あんたにはそれなりに感謝してる。どう? これで満足?」 「うん、十分」 にっこりと笑うライトに、リュージュは工具を回しながら次の問いを投げかける。 「で? あんた、相手に自分の気持ちとやらを言ったの?」 「ううん。言っても困るだろうから言ってない」 「まあね、私たちの感情なんて、既に書かれているものが外に出てるだけだからね」 「それは分かってるけど、実際にあるの。理屈じゃないの」 「仮にもアンドロイドなら理屈で動きなさいよ。まあ、あんたらしいけど」 「でも、彼だって地球が好きだって言うわよ。それが私の気持ちと、どう違うのかが分からないわ」 「そりゃ、違うでしょうよ。量産A型からG型までは人工知能に郷土愛プログラムが組まれているのよ。私にとっては、あんなのは好きのうちに入らないわ。簡単には消せないし、解体するにも厄介なのよ。逃げ出さないように、一方的に見えない糸で絡みとられてるようなものだから」 自分が意識していないうちに、見えない糸で自由を奪われている。それでも、そこから逃げ出すことを考えることすらできない。リュージュはそんな光景を何度も見てきた。その星が見えないために狂っていくアンドロイド。ただ、反逆者でもないのに処置室に入れられ、処分されたものもいることは口に出来なかった。 ライトはリュージュの言葉を受けて考えた。確かに彼は地球に囚われているかもしれない。ただ、あの地球を見たときの表情は、脅迫的なものではなかった。本当に大切な宝物のように見ていた。月にいて彼が安心出来るのは、地球の色が届くところだけだった。 「組み込まれたプログラムかもしれないけど、彼はあの星を大切だと言うの。だから、私のライバルは地球ってわけ」 「勝つつもり?」 「どうなったら勝つってことになるのか分かんないけどね。私は今、一緒にいたいだけ」 口に手をあてて、ライトは困ったような表情を浮かべた。ライバルというのは本気のようだが、これからどうしたいという具体的な考えはないようだ。脱走計画はこのまま進めてもいいと判断して、リュージュは脱出経路を示した図面を壁に映した。 「さあ、今度こそ打ち合わせを始めるわよ。次の地球便が出発するのに合わせて実行するんだから」 「地球便のシャトルなら、宇宙葬の棺をふたつ飛ばすだけの反動はあるね」 「それだけどね、キーラに見つからないように棺をシャトルの近くに移動させるには、一旦、ドームの外に移動する必要があるのよ。どこから出たらいいかしらね」 リュージュは壁に手を置きながら考える。だが、考えれば考えるほど混乱してくる。すっとライトが指差した先に影が映る。 「だったらN−5809通路の端、P−25948出入り口からがいいよ。あそこならキーラのカメラがないから」 「じゃあ、そこに決まり。移動は早いほうがいいわね」 ライトは無機質な天井を見ながら、しみじみと呟く。 「本当に時間がないのね」 「時間がないといえば、あんた、最近おかしいでしょ」 「やっぱり、恋するアンドロイドはおかしいのね」 リュージュの指摘に、ライトはわざと傷ついた表情を作る。話の本質は分かっているくせに、誤魔化そうとする彼女にリュージュは目を吊り上げた。 「勝手に話を戻すんじゃないわよ。そうじゃなくて、調子悪いんじゃないかって聞いてんの」 「大したことじゃないわ。ちょっと目の前が真っ暗になることが増えただけ」 想定していたより悪い。リュージュは眉間に皺を寄せた。 「停止してからじゃ遅いのよ。最初で最後のチャンスね」 「リュージュはまだ大丈夫でしょう」 「何、のんきなこと言ってんのよ。自由な時間は長いほうがいいに決まっているでしょうが」 リュージュはライトの頬を両手で引っ張る。人工皮膚は面白いほど良く伸びた。痛みを感じることのないアンドロイドはそのまま喋りだす。 「残された時間があるなら、無駄に使わなくても良くない?」 「馬鹿ね。どんなに残された時間でも、囚われの身じゃ意味がないわよ。私は、あんたを巻き込んで自由になるって言ってんの。文句ある?」 「ないよ。私もリュージュを巻き込んで幸せになるから」 二人は満面の笑みを浮かべた。共犯者というにはあまりに清々しい笑顔だった。 「あ、コールだ」 目の前にチカチカと光る赤い光を見て、ライトはコール内容を確認する。 「キーラ?」 「ううん、アークα。予定より早く検査が終わったみたい」 そう言いながら、ライトは立ち上がろうとはしなかった。自分との約束を守ろうとしていると、リュージュは察した。 「行けば?」 「でも、まだ時間じゃないから。棺を運んでからにする」 歯切れの悪い返事に、リュージュは腕組をして発破をかける。 「変なところで遠慮するんじゃないわよ。それに、私が優しい言葉をかけるわけがないでしょうが。キーラの監視を避けるために、模範囚はあんたに任せるって言ってんの」 その言葉にライトの表情が一気に明るくなった。立ち上がりながら、リュージュに礼を言う。 「ありがとう! じゃあ、行って来る!」 白い廊下はいつもよりも長く、扉が開くのは遅かった。逆方向に歩いているアンドロイドたちを縫うように、ライトは進んでいった。 研究室の前で、迷子の子供のようにアークαは座り込んでいた。ライトが来たことに気づくと、弱々しく笑う。今日の検査も負担がかかるものだったのだろう。 「ごめん、早く終わったから地球が見たくて」 「そんなに地球がいい?」 「遠くにいるってだけで、なんだか足下がふわふわする。でも、見てたら少しは落ち着くよ。クレイグ教授も待ってるし、早く地球に戻らなきゃ」 ――あんなの好きなうちに入らない。リュージュの言葉がライトの中でリピートする。 「どうかした?」 アークαは黙ってしまったライトの顔を覗き込みながら問いかけた。 「ううん。何でもない」 何でもなくはなかったが、ライトはライバルの元にアークαを連れて行くことにした。こうなったら、真っ直ぐにその姿を見据えてやる。ちょっと交戦的になりながら、大きな歩幅で歩き続ける。 「あれ、何?」 アークαの言葉に、ライトが振り向いた。我にかえってみると、彼と随分距離が離れてしまっていた。同じものを見ようとアークαの隣に並んだライトは、ガラスの向こうの景色に目を丸くした。 「棺……と、リュージュ?」 ふたつの銀色の箱と一体のアンドロイドが、スローモーションでバウンドしている。リュージュは何度も体勢を整えようとするが、ふわふわと動き回る棺の動きについていけず、どんどん流されていった。 「リュージュ、駄目。そのままだとキーラに見つかってしまう」 ライトの言葉はリュージュに届かない。これ以上大きな声を出すことは危険だ。 「早くキーラの監視をどこかに向けなくちゃ」 焦れば焦るほど、身体は上手く動かない。そうしているうちにもリュージュは左右に首を振っている監視カメラに近づいていく。早くしないと映ってしまう。 「ここ、カメラがないね」 アークαののんきな言葉に、我に返ったライトは彼のいるほうへ振り返った。 「人が通るところはカメラ設置されていないから。ここは音声のみの監視よ。せめて、ここまでリュージュを引き戻せればいいんだけど」 「じゃあさ、こういうのはどう?」 アークαはライトへ近づいて、耳打ちをする。そんな場合ではないと分かっていても、ライトは顔が笑ってしまうのを止めることが出来なかった。アークαの提案を最後まで聞くと、ライトは大きく頷いた。 「それはいい考えだわ」 「賭けだけどね。パートナーが僕じゃ頼りないかもしれないけど頑張るよ」 アークαが小さくガッツポーズを作った。ライトは真っ直ぐな目をして、彼の両肩に手を置いた。 「頼りなくない。絶対大丈夫だって信じてる」 それにパートナーって言葉だけで十分すぎる。 ライトは最後の言葉を飲み込んで、外へ向かった。今は今出来ることをしなくてはいけない。 「キーラ。キーラ!」 ライトが非常口から出たのを確認すると、アークαは天井に向かって叫び始めた。何度目かの呼びかけの後、ブゥンという音が聞こえる。 <呼び出しに応じます。カメラ設置区域外のため、音声のみでの交信となります。スペルをどうぞ> キーラが応じた。アークαはガラスの外にいるライトに手を振り合図を送る。リュージュを映そうとしていたカメラの動きが遅くなった。続行可能だと、ライトも手を振り返す。 「ええと……」 アークαはすぐにスペルを答えなかった。 <繰り返します。スペルをどうぞ> キーラはもう一度問いかけてきた。アークαは狙い通りだと口の端を引き上げつつ、演技を続ける。 「ちょっと、待ってよ。そういうの慣れてないんだから。地球から来たばっかりなんだよ?」 <では、固有名称をどうぞ> 「アーク」 キーラの問いかけが止まった。莫大な量のデータから、アークという固有名称を検索しているのだ。嘘ではないけれど、十分ではない。だからこそ時間がかかる。カメラは完全に止まってしまっていた。 遠くから跳んでくるライトにリュージュが気づいたようだ。身振り手振りで打ち合わせをしていた二人が、ひとつずつ銀色の箱を両手で支えながら、こちらに向かってくる。あと少しだ。 <該当ありません> 「ちゃんと調べてよ」 アークαは一歩も譲らない。キーラはもう一度検索を始めた。 <前回の地球便でのアンドロイド受け入れ数は三百六十四体。その内、リサイクルされたものが三百五十六体。残り八体から検索します。型名をどうぞ> 「量産A型だよ」 <検索終了しました。量産A型の受け入れはありません> 「そんな筈ないよ。僕はここにいるんだから」 <違法侵入者、ドゥリフターの可能性あり。直ちに警備を向かわせます> この管理社会で自由に生きる流れ者、ドゥリフター。違法アンドロイドの総称だ。捕まれば確実に処分される。警告音があたりをつつむ。ライトとリュージュはまだ非常扉から入ってこない。もう少し頑張らなくてはと、アークαは大法螺を吹くことにした。 「警備でも何でもいいから、早く来てよ。ライトさんが倒れたんだ」 アークαの必死の訴えに、キーラは検索を再開した。 <固有名称からスペルを照合しました。量産L型、Light。現在、新型プロトタイプの案内についています> 「うん。それが僕。アークα」 <アークα、スペルArc−α。照合しました> キーラの言葉と共に、けたたましい警告音がふっと消えた。アークαはほっとしたのを気づかれないように、不安そうにキーラに問いかける。 「ライトさん、どうなっちゃったの?」 <そのアンドロイドは最近不具合が生じているようです。再起動させてください> 「電源を、切るの?」 <はい> 「僕、そういう残酷なの駄目なんだ」 <では、近辺に待機している巡回ロボットを向かわせます> まずい。調子にのりすぎたか。キーラが逐一教えてくれると考えていたアークαは、少し焦りをみせた。だが、間一髪のところで、ライトとリュージュが非常扉に滑り込んできた。 「あ、誰かが来たよ。説明してくる」 アークαはリュージュに小声で現状を説明した。リュージュは棺の固定をライトとアークαに任せるとマイクの前に立った。 「事情は聞きました。私は固有名称リュージュ。スペルLuge」 <スペル照合しました。リュージュ、状況を説明してください> 「ライトはしばらく機能停止していたようです。現在、再起動中です」 <緊急性はないため、巡回ロボットへの命令を解除します。Lightへ後日、検査に向かうように伝えてください> 「了解しました」 キーラとの通信が切れ、監視カメラが首を振り出した。リュージュは深くため息をつくと、両手をだらりと下ろした。何だか楽しそうに棺を固定している二人に、説教をしたくなる。 「上手くいかなかったらどうするつもりだったのよ。ばれたら即刻処分されるのぐらい分かってるでしょう」 「まあ、上手くいったからいいじゃない」 けらけらと笑う二人に、リュージュは似たもの同士と苦々しく呟いた。 「で、どうしてあんなことになったの?」 無邪気に聞く、ライトの目線が刺さるようだ。リュージュは顔を背けながら、ぼそりと言う。 「つい、力が入っちゃったのよ」 リュージュはそれ以上の説明をしない。恐らくそれが全てだとライトは察した。 「あれ、何に使うの?」 アークαが銀色の箱のことを聞いた。ライトとリュージュは顔を見合わせる。助けてもらったことだし、話してもいいだろう。キーラに悟られないようにリュージュは小さな声を発する。 「あれで宇宙に出るのよ」 「出てどうするの?」 彼の疑問は当然だ。人が見捨てた宇宙をわざわざ漂流する理由は分からないだろう。ライトは正直に答える。 「そのあたりの廃墟コロニーを転々とするつもりなの」 「電力も情報もそれなりに入るって、この前運ばれてきたドゥリフターが言ってたからね。後は身体が動かなくなるまで好きに動き回るだけよ」 可能性も不安定さも無限。そう付け加えてリュージュは笑った。アークαは怪訝な表情をしている。 「追われながら?」 「囚われているより追われているほうがいいもの」 ライトの言葉にアークαは首を傾げるばかりだ。リュージュは寂しそうな表情を浮かべるライトの肩に腕を回した。 「さあ、もう解散しましょ。巡回がやってくる前にね」 「部屋まで送るわ。アークα」 ライトの言葉に頷き、アークαは彼女たちの後を追いかけた。彼は気づいていなかったが、この騒動のせいで、彼は青い星を見ることを完全に忘れていた。 ◇ ◇ ◇ 翌日、地球からの定期便が来るため、通路は混雑していた。ライトはシャトルの発着場所を眺めていた。この便が地球に戻るときに生じる衝撃で、月面から脱出する。あとは決行の日までじっと機会を待つだけだ。大きな出来事を起こす前は静かにしておいたほうがいい。小さな異変を感じ取れるために。 「ライト。こんなところにいるなんて珍しいわね」 「今から検査なの」 ライトの答えに対して、リュージュは耳打ちする。 「無視しちゃえばいいんじゃない? 結果によっては拘束されるでしょうが」 「今日は調子がいいから大丈夫。変に逆らって疑われたくないの」 ライトも小声で答えた。キーラは定期便の到着準備に追われているが、用心にこしたことはない。 「そりゃ、そうだけど」 納得のいかないリュージュを置いて、ライトは足早に進む。曲がり角を右に入ろうとしたところで、ふと、通路の先にある扉が目に付いて、彼女は目を細めた。 「嫌だ、処置室が開いてるわ」 「早く行こう」 一歩間違えば、自分もそうなる。ライトは目を背けそうになったが、次の瞬間、見覚えのある姿が扉の向こうに消えていった。 「どうしたのよ。行かないの?」 「ごめん、行けなくなったわ」 そう言うと、ライトは処置室へ足早に歩いていく。 「ちょっと、どこに行くつもりよ」 慌ててリュージュはライトの右腕を掴んだ。 「処置室よ。放して、リュージュ。早くしないと彼が」 「彼って?」 「アークよ。αかβかは一瞬だったから分からなかったけど」 制止も聞かず、進もうとするライトの前にリュージュは立った。 「待ちなさいよ。彼ならもうひとつの人格プログラムがあるから、多少の負荷がかかっても動いていけるわ。多分負荷をかけて、どちらか片方の人格プログラムを消去するつもりでしょうね。荒っぽいやり方だけど、彼は停止しない。だけど、あんたは処置室に入ったら最後、完全停止するわよ」 「それでも、私は彼に生きていてほしい」 「だから、どちらかは残るから彼は止まらないってば。私の話、聞いてる?」 「聞いてるよ。でも、統合ならともかく、消去なんて間違ってる。行かせて、リュージュ」 ライトの必死の訴えに、リュージュはため息をつき、ライトを睨みつけた。 「あんたの恋とか愛とかって、ただの自己犠牲な訳? 馬鹿馬鹿しいわね」 「あまり賢くないのは分かっているけど、そこまで言わないでよ」 「じゃあ、間抜け。考え無し。単細胞」 「私、細胞なんてもってないわ」 けろりと答えるライトに、リュージュは眉間に皺をよせる。 「そういう話をしてるんじゃないでしょうが。大体、あんた自由になりたいんじゃなかったの?」 「諦めるわ。前に進むために」 まっすぐな瞳には嘘はなかった。言葉を失ったリュージュに、ライトは真剣な面持ちで語りかける。 「リュージュ、お願い。私が彼を逃がしたら、彼と一緒に月から脱出してちょうだい」 「却下。大体、宇宙船なしでどうやって行くのよ」 「確かに大きな船はないわね。だけど、定期便を迎える誘導船は?」 「あれじゃあ小さすぎるわよ」 「乗り込んだら、大丈夫よね」 「どうせ、すぐ捨てることになるわよ。そんなもののために危険を冒すより、今の方法にしたんじゃないの」 「どっちにしろ追われるなら、デブリなんて気にしなくて、安全に出て行けるほうがいいわ。それに、キーラはこっちの騒動があれば反応が遅れるわよね。これは最後のチャンスじゃない?」 デブリ(宇宙ゴミ)に最後のチャンス。ライトも様々な手を使ってくる。 「何それ、脅迫?」 「ううん。お願い」 随分脅迫めいたお願いだ。リュージュは肩をすくめた。 「そうは聞こえないけど。まあ、いいわ。あんた、一回言い出すと誰の意見も聞かないからね。その計画に乗ってあげるわよ」 「ありがとう」 にこりとライトが笑う。余計なお節介と分かりながら、リュージュはアドバイスをする。 「それを言うのはまだ早いわ。良く聞きなさいよ、ライト。処置室の内部は私たちの身体を蝕む電磁波が発生しているわ。止めるには電源スイッチをオフにするしかない。そして、スイッチは処置室の一番奥にある。オフになっているときに何度か入ったことがあるから、間違いないわ。彼は拘束されているでしょうから、あんたが行くしかない」 「ロックはどうやって解除するの?」 「そんなものないわ。自分が止まってしまうのに入るような奴なんていないじゃない。あんた以外は」 「それもそうね」 「私はここで待っているわ。でも、あんたたちが来る前に警備がかけつけたら、知らぬ存ぜぬを決め込むわよ」 ライトはリュージュの言葉に神妙な顔をして頷いた。 「リュージュはまだ早いって言うけど、やっぱりありがとうしか出て来ない」 「じゃあ、そういう挨拶だと思うことにするわ」 「うん、ありがとう。あと、元気で」 リュージュはそう言って離れていく友の背中を見続けた。彼女らしい別れの言葉に意味はないと分かっていても、祈ることしか出来ない。 白い廊下をライトは進んでいった。処置室の扉はリュージュのいうとおり、ロックなどかかっていない。 あっけなく開いた扉から、ライトは入っていった。薄暗い部屋は奥に進むにつれて、身体を重くしていく。電磁波の影響だろう。 白い台に一体のアンドロイドが横たわらせてある。彼は目を見開いて、小刻みに震えていた。 「アーク!」 ライトは急いで彼に近づくと、両手両足の拘束を解いた。 「来ると思っていたよ」 第三者の声が聞こえて、ライトはその方角を向いた。こんなに強い電磁波の中で自由に動き回れる声の主は、人間に違いない。 「誰?」 「人間だ。固有名称はバートン」 白衣の人間は冷ややかな表情を浮かべながら、どこか自分すら軽視するような口調で名乗った。ああ、この人がアークβを怒らせたのかと、ライトは納得した。それにしても面識もないのに、どうして自分を標的にするのだろう。 「どういうこと? 私を来させるために彼を使ったの?」 ライトはバートン博士を睨みつけた。恐れより怒りの方が勝っている。そんなライトに博士は意地の悪そうな笑みをかえした。 「そうだ。私はずっと、お前を消したかったからな。お前のようなアンドロイドがいると、今度の論文に矛盾が生じる。早く処分したかったが、なかなか理由がなくて手をこまねいていたよ。何やらこそこそやっていたようだが、はっきりとした証拠はなかった。それならおびき寄せればいいだろう?」 博士はそういうと、電磁波を強力なものに設定した。ライトの動きが次第に遅くなっていき、彼女は膝から崩れていった。それでもライトは白い台に手をつき、腕の力で上半身をささえながら博士と対峙する。 「そんなことの為に、処置室を開けたの? 論文なんて、どうだっていいじゃない。もっと大切なものがあるでしょう」 「例えば?」 「人間ならアンドロイドの私なんかより、ずっと感情らしい感情を持つことが出来るじゃない。なのにどうしてそこから目を背けるの?」 「目を背けているわけじゃない。身を滅ぼす感情など必要ない。だから排除するだけだ」 「そんなの、今ここにあるものを消す理由にはならないわ」 暗闇の中、冷たい涙が頬を伝うことだけがリアルだ。とうとう腕の力も抜け、ライトの上半身はアークの上に覆いかぶさった。 「人も機械と同じ。ただ、動いているだけの物に過ぎない」 「ええ。そして、動いている限りは誰にも止める権利はないの」 どんどん電磁波が強くなる。ライトの涙は止まらず、アークの上に降り注ぐ。 水滴がアークの上で火花に変わった。慌てながらも何も出来ないライトを博士は見下ろした。 「お前の理論を聞いているほど私も暇ではない。いいかい? これは事故なんだ」 「じゃあ、これも事故だな」 突然、第三者の声が響き、勝利の笑みを浮かべた博士の首を何かが掠めた。博士はそのままの表情で後ろに倒れる。 ライトは自分の視覚を疑った。何度も瞬きしてみて、ようやく錯覚ではないと認識した。銀色の髪が上半身を台から起き上がらせていた。状況が掴めず、ライトは恐る恐る問いかける。 「殺したの?」 「そんなことは出来ないようにプログラミングされてるよ。それにしても、全く無茶をする」 「その喋り方はアークβ?」 彼は軽く頷くと、白い台から立ち上がった。 「ああ。水の衝撃で意識がはっきりしてきた。早くここから出よう」 ライトに手を差しのべたアークβへ、彼女は寂しそうな微笑みを浮かべた。 「私は無理みたい。手足がもう動かないの。出力系が全て止まるのも時間の問題ね。アークβ、急いで外に出て。リュージュが待ってくれてる」 ライトはこの場に残ろうとしている。アークβはライトの腕を掴んだ。 「いいから一緒に来い。俺が連れてく」 そう言ったアークβの顔がライトには見えなくなっていた。視覚を司るセンサーが完全に止まってしまったようだ。ライトは完全な暗闇の中、最後の言葉を振り絞った。 「どうか、無事で」 音にならない言葉が行き場をなくしていた。アークβは動かなくなったライトを両腕で抱えると、処置室を後にしてリュージュの元へ向かった。何も破壊していない上に、博士はまだ気絶している。キーラが動き始めるのはもう少し後のようだ。 リュージュはアークβに抱えられて戻ってきたライトを見て、大きなため息をついた。 「あーあ、言わんこっちゃない」 「前もだが、どうもあんたはライトを馬鹿にしていないか?」 予測していたように言う彼女に、アークβはつっかかった。リュージュは全く悪びれず、肩をすくめる。 「馬鹿だからしょうがないじゃない。だけど、私は馬鹿がいけないとは言ったことないわよ。それにしても、驚いたわ。あのぽやんとしてる坊やと記憶を共有してるのね」 「ああ。表現方法が違うだけで、中身は変わらない」 「なら、話は早いわ。今から脱出するわよ。あんたには地球を捨ててもらう」 「地球を?」 急な話にアークβはうろたえた。けれど、リュージュは畳み掛けるように続ける。 「そう、どれだけ帰りたくても関係ないわ。私がここを出るために必要なライトをあんたのせいで失ったの。代わりぐらいしてもらわないと困るわ」 彼女の言葉にアークβはしばらく考えた。このまま何事もなく地球に戻れることはない。それなら、もう少し彼女たちに付き合うのも悪くはない。 「いいだろう。ここにいても処分されるだろうからな」 脱出経路へ迅速に向かうため、アークβはライトを右肩に担いだ。しかし、リュージュはそんな彼の前に掌を広げ、首を横に振った。 「それは置いていくの。棺はひとりしか入れないし、中での操作も必要だから、持っていけないわ」 「あんたもあの博士と同じか」 「ライトを連れて行かないとは言ってないわよ。ほら、そこに置いて」 アークβは一瞬躊躇した。その時、キーラの警報がけたたましく鳴り響く。 「ほら、早く!」 リュージュに促がされて、彼はゆっくりとライトを床に置いた。リュージュはライトの腹部に耳を当てた後、狙いを定める。 「見てるつもり? 悪趣味ね」 目線をライトからそらさずにそう言うと、彼女は真っ直ぐライトの腹部に手を差し入れた。人工皮膚と様々な部品がメリメリと音をたてながら裂かれていく。 「何をするんだ!」 驚きながら、ライトとリュージュの間に入ろうとするアークβに、リュージュは小さな部品を手渡した。 「人工知能だけなら持っていけるでしょう。それとも何? そっちの抜け殻の方が重要なの?」 しっかりとライトの人工知能を両掌で包み込みながら、アークβは横たわるライトの身体を見た。確かに抜け殻には違いない。中古部品として処分されるだろう。しかし、アークβは先ほどまで動き、話までしていたものを急に部品とは見なせなかった。 「このままっていうのはどうだろうか?」 「私たちアンドロイドに墓なんてないわよ。これから行くところが墓場になるかもしれないけどね。ほら、ぐずぐずしてるから、奴らがやって来たわ」 リュージュの言葉通り、無粋な金属音が次第に近づいてきた。キーラが巡回ロボットをかき集めたのだ。リュージュは手薄なところから突破しようと、目を凝らした。アークβもこれ以上は悩んでいる時間はないと吹っ切ることにした。 「それを落としても拾いに戻って来れないわよ。しっかり持っておきなさい」 「ああ。絶対に離したりしない」 「さあ、一気に走り抜けるわよ。はぐれないようについて来なさい」 そう言うと、リュージュは高く飛び上がり、巡回ロボットを膝を使って潰していく。手が塞がっているアークβは飛び石のようにロボットを越えていった。 <量産L型、Luge。新型プロトタイプ、Arc−β。止まりなさい> 封鎖と警告。度重なるそれらを全て突破しながら二人は進んでいく。 「止まるもんですか。止めれるものなら止めてみなさいよ!」 「煽るなよ」 「混乱するほど燃えるのよ。性分なんだから仕方ないじゃない」 混乱は十分過ぎるほどだった。あまりの騒ぎに他のアンドロイドは外出を禁止されているようだ。お陰でリュージュは止まらない。 ようやく彼女が止まったのは棺を隠している扉の前だった。ちらりと外を見ただけで、リュージュは扉の前から動こうとしない。 「ここじゃないのか?」 「心配しなくても、場所はあってるわ。ただ、待ってるのよ」 何を、とアークβが聞く前に、巡回ロボットが二人を見つけた。逃げ場は後ろにある扉ひとつ。これも恐らくキーラによってロックされているだろう。だが、リュージュは動こうとしない。次々と、ロボットたちは増えていき、通路には隙間すらなくなった。 「来るわ」 ずっと宙を見ていたリュージュがぎらりと目を輝かせた。 「どきなさい!」 言われるがまま、アークβは扉の前から離れる。リュージュは渾身の力を込め、扉へ突進した。 破壊音とともに月面へ放り出されたアークβは、乾いた地面に転がっていくロボットたちをぼんやりと見ていた。そんな彼の前にリュージュは銀色の箱を差し出す。彼女はふたつの棺を持つよう、ジェスチャーで彼に伝えた。 ロボットたちが体勢を整えるその前に、リュージュは月面から飛び立とうとしている誘導船を捕らえた。無理矢理扉をこじ開けると、警告音も気にせずに乗り込む。アークβも後に続いた。 「動かせるのか?」 「まさか。動かせたとしてもこんなに小さい船じゃあ、そう遠くにはいけないわ。こんな役に立たない目立つだけのもの、ある程度月から離れたら乗り捨てるわよ。その為の棺だもの」 リュージュの言葉通り、月とその周辺のデブリから抜けたころ、二つの銀色の箱は、小さな舟から広い宇宙に投げ出されていく。 轟音と衝撃が収まったころ、アークβは掌を開けた。人工知能に目に見える損傷はない。黒い宙を漂っている。しかし、これから何処へ行くのかは全く決まっていなかった。 ◇ ◇ ◇ 何日かの漂流後、浮遊してきた朽ち果てたコロニーに二人は入り込んだ。このコロニーがどこにあったものかも、これからどこに行くのかも分からない。コロニー内に降り立ったアークβは自分たちのようだと誰に聞かせるわけでもなく、呟いた。 棺から出たリュージュはすぐさま動き始めた。 「アンドロイドの検査が出来る部屋があったわ。ライトの検査をしてくるから、あんたはニュースでも漁っておいて」 リュージュはアークβにコロニー内で拾った通信機器を渡す。その代わりにライトを受け取ると、あっという間にいなくなってしまった。 他にすることがなくなった、アークβは通信機器の電源を入れた。通信機器は古く、なかなか情報が現れてこない。ようやく映ったのは地球の景色だった。 懐かしさが彼の中のプログラムを暴走させる。随分遠くまで来てしまった。コロニーの外には青い星が小さく見えいるが、そのうち青さも闇に消えていくだろう。とてつもない圧迫感と震えがアークβの身体を駆け巡る。彼は身体をくの字に曲げた。その地を踏むことはないだろうという確信は苦しみとして彼を支配していく。 リュージュが再び戻ったとき、アークβは床に転がりのた打ち回っていた。 「ちょっと、大丈夫なの? 狂うなら完全に狂ってよね」 返事はなく、うめき声だけが聞こえる。胸の辺りを掻きむしる彼の横に、リュージュはひとつの箱を置いた。 「ライトよ。人工知能に異常はなかったわ」 保管箱に入った人工知能には差しのべる腕も、交わす言葉も持たない。だが、その役目は自分には代わることが出来ないとリュージュは判断した。彼女は通信機器を持つと、別の部屋に向かった。今、この状況下では、地球の情報を与えないようにして、そっとしておくことしかできない。 「本当に初期型は大変ね。まあ、これを乗り切れなきゃ、この先漂流なんて無理だけど」 スプリングの壊れた椅子に寝転がって、リュージュは壊れかけた画面を見続ける。ふと、箇条書きのニュースが映し出された。そのひとつに、新型アンドロイドの実験が成功したことが載せられている。リュージュは画面の明るさを調整すると、詳しいデータを検索した。 新型プロトタイプの実験は三度行われており、その内二回は失敗に終わっていた。一番初めの失敗は隣の部屋で横たわっている。そして、三度目にしてようやく実験が成功したようだ。その実験方法にリュージュは瞳を輝かせた。 起動実験は無人のコロニーで行われる。二体以上のアンドロイドを送り込み、その場で起動させる。通信のみの学習により、人工知能の情報を少しずつ覚えこましていく。継承という形で、人工知能の処理をしようというのだ。 「起動前なら、このボディを頂くチャンスはあるわね」 詳しい情報はまだ集めなくてはならない。だが、絶望を乗り越えるためにも朗報は早く伝えたほうがいいだろう。そう判断するとリュージュはアークβの元へ戻った。 「信じらんないわ」 静まり返った部屋でリュージュは口をあんぐりとあけた。壊れかけていた部屋はさらに荒らされており、彼の苦しみはかなり深く激しいものだったことがうかがえた。 しかし、一体どういうことだろう。 今、アークβは静かに仰向けに横たわり、胸の上にはライトの人工知能が入った保管箱がある。箱は発光物質のように自ら淡いクリーム色の光を放ち、彼を包み込んでいた。 その光の中、アークβは穏やかな顔をしている。節電モードでもなければ、休止したわけでもない。あえて言うなら、そう、いい夢でも見ているような。 地球から放れたせいで、さっきまで狂いそうだった彼がどのようにライトを認識し、引き寄せたのかは全く分からない。だけど、これだけは確実。 「ライト。あんた勝ってるじゃない」 清々しいまでの完全勝利を確信して、リュージュは誇らしげに笑った。 もしも、心に形があるなら、こんな形が相応しい。やがて終わりが来ようとも決して消えないもの。暗闇に包まれた廃墟の中で、痛みを癒すささやかな光。 「邪魔者は退散するとするわ」 リュージュはそう言うと、隙間風が吹き抜ける廊下へと出た。鼻歌を歌いながら軽やかな足取りで真っ直ぐに進む。 きっとあの光はこれからも彼を照らし続ける。再び同じものを見ることが出来る、その日まで。そして、その日はそう遠くない。 (了) |
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