異界の境界の緑 第一話 木冬 (ヒイラギ) |
ずっと身体に感じていた揺れが、最後の大きな揺れと共に無くなった。どこまでも続くように見えた波が穏やかになっている。 青年は船の甲板から、大きな身体を落ちるぎりぎりまで乗り出して、波の行く先を見ていた。 近いようで辿り着けなかった陸地が彼の眼下に広がっている。それを確認した青年、ソドウは船に戻り仲間に告げた。 「セイトーロに着いたぞ!」 全く返事は返ってこない。不思議に思ったソドウは、小さくて湿っている船室の扉を開けて返事のない理由を知った。平気で歩き回っているのは自分だけで、他は皆ぐったりと柱に寄りかかっている。波が高かったせいか、船酔いをしたらしい。 「ああ、皆だらしがないなぁ」 彼の大きな声に皆は顔をゆがめる。 「ソドウ、お前が元気すぎるんだよ」 「まぁ、後からゆっくり来るといいよ」 何を言われてもいつものことなので、ソドウは全く気にしなかった。すぐにとってかえすと荷物の搬出を率先して行う。 隣の島ラーフジクから小舟に揺られて半日、大陸の大きな船に乗り換えて一日。目の前に見えているのに、辿り着くまで時間がかかるのには理由があった。 ラーフジクとセイトーロは昔から多少の行き来はあるものの、危険な海域を挟んでいた。小さな舟では危険が伴い、大きな船では遠回りをするしかない。だから、二つの島を結ぶ橋を架けるという大陸からの援助の下、多くの人員が集まった。セイトーロの海岸沿いには大きな機材と大勢の人がひしめきあっている。 その中でソドウも大工としての持ち前の腕力で次々と木箱の山を移動させていく。 「そこのラーフジクの人!」 遠くから呼び止められて振り返ると、大陸の人が積み上げられた木箱の隙間から歩いてくるのが見えた。その金色の髪の男性は、あちらこちらに指示を出しながらやってくる。工事に詳しい人なのだろうと、ソドウは自分への指示を待った。しかし、それは彼の想像とは全く違うものだった。 「村に挨拶に行くから一緒に来てくれ」 「俺?」 ラーフジクからやってきた大工にはもっと年上の人間も、口が達者な人間もいる。ソドウは、どうして自分に声がかかったのか、不思議で首を傾げた。 「挨拶なんてしたことがないが、構わないのか? そもそも俺が交渉事に向いているとも思えない」 「動けるのは君だけだ」 足早に村へ向かう彼の言葉に、ソドウは船を見上げた。ようやく動くことが出来るようになった仲間たちが、ふらふらとした足取りで船から降り始めている。この様子なら、話どころではないだろう。 そういうことなら仕方がない。ソドウは持っていた木箱を足下に置くと、大陸の人の後ろに続いた。 村長への挨拶は思ったより簡単に終わった。大陸の人と若い村長が話しているのを、ソドウはただ後ろで聞いていただけだった。確かにこれなら誰でもいいだろう。 村長の家から出ると、家の前で二人の小さな子供がうろうろとしていた。男の子は大陸の人と同じ金色の髪をしている。女の子は栗色の巻き毛だ。どちらも島の人間には見えなかった。 ソドウは何だか気になったので、彼らに話しかけることにした。 「はぐれたのか?」 「島を汚すやつは帰れ!」 ソドウの問いに男の子がかん高い声で叫んだ。ソドウは何のことか分からずに振り返ると、村長が申し訳なさそうに言う。 「気にしないでくれ。この子たちの爺さんは神木に仕える者だから」 だから、外から来たものをあまり歓迎しないと村長は続けた。ソドウは不思議に思う。 「あの子たちって大陸の人じゃないのか?」 「父親はそうらしい。いつの間にか大陸に戻って行ってしまったよ」 女の子の方が危なっかしい動きでソドウにぶつかってきた。ソドウは受け止めると女の子と同じ目線になるように身体を低くした。 女の子は誰かを探すようにきょろきょろとし、男の子が慌てて駆けて来た。 「モクノイを放せ!」 「モクノイって言うのか。俺はソドウだよ」 「祖堂?」 モクノイは大きな目を丸くしている。何か別世界のものを見ているかのように。 「兄様。祖堂だって」 「偶然だよ。ほら、行くよ」 彼女は兄に連れられて去っていった。二つの小さな影にどこか自分にもある不安定さをソドウは感じていた。 数日経っても、工事はなかなか始まらなかった。風は強いが工事を延期するほどではない。 急ごしらえの小屋にラーフジクの人間は詰め込まれたままだ。男ばかり十数人もいる小屋の中は何となく薄暗い。 年長の人間が今日も話し合いに行って帰ってきた。 「工事が中止ってどういうことだ?」 「ラーフジク側に問題が起こったらしいんだ」 「どうなるんだ、これから」 「大陸へ帰るという話が出ているらしい」 らしい、らしい、ばかりで何もはっきりしたことが分からない。考えるのは性に合っていない。 しかたがないのでソドウは工事の予定地へと足を向けた。 高波の向こうにラーフジクが見える。 事故だろうか、それとも他の問題でも起こったのだろうか。どれだけ目をこらしても、何があったのか見えるはずはない。ただ、ひたすら見ることしか出来ない。なんてもどかしいのだろう。 ふと、機材や木材がひしめき合っている崖側に、小さな人影が見える。肩までの巻き毛がふわふわと踊っている。モクノイだ。 ソドウは彼女に近寄ると、腕を軽く掴んだ。 「ここは危ないんだぞ。家に帰ったほうがいい」 モクノイはソドウを見ると、探していたものを見つけたような華やかな表情をした。 「ソドウに枝を持ってきた」 「俺に?」 ソドウの目の前に差し出されたのはヒイラギの枝だった。どういう意味かソドウには分からないが、モクノイはにこにことしている。 「ヒイラギは、魔よけ」 「ありがとう」 ソドウは受け取るとモクノイへ笑いかけた。この何だか分からない不安という名の魔物を遠ざけてくれるなら、どんな迷信だろうが信じよう。 その時、強い風が吹き、ソドウは信じられないものを見た。 風にあおられて足場用の木材が崩れ、自分達がいる方向へ倒れてきた。それは工事がされないまま、中途半端に残されていたものだった。 避ける余裕もなく、ただモクノイをかばってソドウは地面へ転がる。大きな音と共に、鈍い痛みが背中から脚に広がった。強く右手を握ると、手に持ったヒイラギの葉が頬に軽く刺さる。 これ、魔よけじゃないのか? その加護はセイトーロの人間だけのものなのか? そんなのずるいぞ。 心の中で毒づきながらソドウは意識を失っていった。 |
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