至上の天上の青 第一話 海底の青 |
今日の波は少し高い。 冷たい波が岩場にあたり、白い波の花を作り出している。 ガルヤは砂浜に立ち、波の動きを読み取ろうとしていた。 日に焼けた頬に強風で乱れた長い髪がまとわりついた。 この風の中、彼女は波の向こうから帰ってくる人を待っていた。 彼女を呼ぶ声が待っている方向とは逆の細い木々の向こうから聞こえた。 ガルヤが声のしたほうへ振り向くと、赤い髪の少年が駆けてくるのが見えた。 「どうした? エンレイ」 エンレイはガルヤの傍まで来ると彼女を見上げた。 「今日から橋の工事が始まるって、昨日言っただろ?」 鼻に皺を寄せて怒っている。 親をなくしたエンレイを育てて七年間、この癖だけは変わらない。 それがとても愛おしく思えてガルヤは目を細める。 動こうとしないガルヤの手をエンレイが引いた。 しかし、彼女は立ち止まったまま首を横に振った。 エンレイが心配そうに問う。 「まだ、反対している?」 「反対はしていない。村の皆の為になるんだろう?」 三つの青の聖地があり、神の宿る島と言われているラーフジク。 この島に大陸から船が来て、数年で村の風景は変わってしまった。 そして、文明の流れに慣れた村人は、水の流れについていけなくなった。 もっと便利に、もっと自由に、ありったけ使いたい。 一部の者は潤い、一部の者は村を去っていった。 その中で、ラーフジクと隣の島セイトーロをつなぐ橋の建設の話が持ち上がった。 大陸から機械が全て運ばれてきた。 セイトーロとラーフジクとの交流で得た利益を大陸に配当するという条件らしい。 小さな島にそんなものがあるのだろうか。 大陸の人間の考える事はよく分からなかったが、危険な思いをしてセイトーロに渡っていたのは事実だったので、その条件を受け入れることになった。 準備は着々と進んだ。 橋の話をする為に大波を越えて村人がセイトーロへ向かったとき、ガルヤは時代の流れに逆らうのを止めた。 「彼らの思いを青の守人(もりびと)というだけで私が止めるのは理不尽だからな。それに、エンレイが夜遅くまで村のために多くの本を読んでいることも知っているよ」 その言葉にエンレイは顔を赤くした。 「だけど完全に納得した訳ではない。潮の流れが変わることがあれば即刻取り止めてもらう」 「まだ、そんなことを言ってる。大丈夫だよ。コウは大陸の人だけど、守人の仕事もわかってくれようとしているから」 「それなら、任しておけばいい。青の守人として、私は私の役目を果たすだけだ」 はるか遠くの波間に小さな舟が見えた。 「ほら、舟だ。導いてやらないと」 「島の舟が沈むもんか」 エンレイはまだ諦めない。 ガルヤは海に守人の印のついた足を入れると嬉しそうに微笑んだ。 「それにあれには彼が、シエルが乗っている」 セイトーロへ行く村人を大陸の船へと送ったシエルが帰ってくる。 ガルヤは少しでも早く彼に逢いたかった。 「もう、いい」 エンレイは不機嫌になって、村へと駆けていった。 それを見送るとガルヤは海岸沿いに大岩へと向かった。 この切り立った岩は海底にまで続いている。 大岩は聖地といっても、一部に過ぎない。 海を見ると深い深い所に青い光が煌いている。 彼女は服と同じ白い色の紐で髪をひとつに結うと、光を目指し海へと潜っていった。 そこには青の世界が広がっていた。 海の深い所にある、ここが本当の聖地。 波の上の荒々しい岩とは別の表情を見せる青く光る岩。 ガルヤは海の中で聖地に祈りを捧げる。 彼女の周りが青く光り、やがて聖地を包み込む。 聖地は静寂だった。 それを確認すると、彼女は導くべき舟へ向かった。 舟にはシエルと他の村からやってきた少女が乗っていた。 波はさらに高くなって、雨も降ってきた。 彼女はカビラと名乗った後、ぐったりと舟の縁に寄りかかかっていた。 「もしかして、舟は初めてだったか?」 シエルは出来るだけ静かに舟を漕ぐ。 けれど、カビラは眉間に皺を寄せていた。 「海だって初めてよ。何なの。この、言うこと聞かない水は」 全体的に色素の薄い外見に対して、意外なほど気が強い。 ガルヤを訪ねて行くというから同行しているが、何の用かはまだ話せる状態ではない。 「もう一度、沖に出たら大岩が見える。もう少し我慢してくれないか」 「分かったわ。まだ数日は歩いて行くつもりだったんだから、それを考えたら楽な方よ」 気丈に答えた後、真っ青な顔をしてうつむいてしまった。 「下を向くな。ほら、島を外から見るのも初めてだろう。これがラーフジクだ」 シエルに促がされるままに、カビラは顔を波から陸地へと向けた。 初めて見る自分がいた世界は、小さく見えた。 その感想を口にせず、カビラは再び眉間に皺を寄せた。 「青が見えないわ」 「まだ遠いよ。だけど、大岩は見えるだろう。あの下に海底の青があるんだ」 「知ってるわ。岩と青が繋がっているのくらい。私は青を継ぐ者なんだから」 『青を継ぐ』? その意味を聞こうとしたシエルに対し、カビラは問いかけた。 「この音は何?」 遠くで硬いものを砕く音がする。 カビラの言葉にシエルは海の向こうに見える島を指差した。 「あの島、セイトーロに続く橋の工事だよ」 「ここにも大陸の人間がいるのね」 彼女は禍々しいものを見るように音のする方角を見た。 それは大岩の上の断崖から聞こえていた。 「でも、あんなところに橋を作るものなの?」 シエルも異変に気づいた。 「何で、あんなに大岩に近づくんだ? もっと北の予定だったのに。変じゃないか」 その問いかけに答えるものはいない。 シエルは舟を大岩へと急がせた。 舟から崖の上にいる人影が小さく見えてくる。 見事な金髪の背の高い男性だ。 カビラはその姿を見て、はっと息をのんだ。 「金の魔物!」 彼女の驚いた姿にシエルはただならない事態を察した。 「急いで! 海底の青が危ない!」 海はどこまでも暗く、雨は止みそうになかった。 |
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