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Xiang-ge-li-la! 第十六話 吾亦紅 |
明け方に降った小雨が木の葉に光の玉を残していた。あの暑かった日々が嘘のようで、私は一枚上着を羽織った。 今日が最後の出勤だ。いつもの朝礼、いつもの仕事、いつもの景色なのに何かが違った。感傷的になるのはまだ早いと自分をなだめながら、仕事を続ける。 最後の挨拶を終えて帰ろうとした時、私は幻を見た。ここにはいないはずの赤い髪の人が、こっちに走ってくる。 「リンリーン!」 「マイちゃん?」 幻じゃない、本当にマイちゃんだ! 相変わらず気合いの入った格好だけど、何だか街の匂いがした。私たちはまるで外国の人みたいに抱き合う。たった数日離れていただけなのに、感動の再会だった。 「どうしたの?」 「リンリン、今日が最終日でしょ? だからね」 マイちゃんは赤いカバンを探って、茶色の紙袋を取り出した。紙袋を目の位置まで上げると、えへへと笑う。 「クッキー焼いてきた」 「うわぁ」 両手で受け取って、促がされるままに開くと香ばしい香りがした。チョコチップクッキーだ。プレーンにアーモンドが乗っているのもある。 「すごいすごいすごい!」 「でしょ? 寮じゃ焼けないもんね」 勿論クッキーも嬉しかったけれど、わざわざ車をとばしてここまで来てくれたことが嬉しかった。 「ありがとう。すっごい嬉しいよ」 「良かった」 マイちゃんは満面の笑みを浮かべた。 近くのベンチに座って自販機で買ったカフェオレを飲んでいると、マイちゃんが遠くの地面を眺めながら言った。 「やっぱりここは秋が来るのが早いんだね。吾亦紅が咲いてる」 「われもこう?」 「うん、あの花」 マイちゃんが指差した先を見ると、沢山枝分かれした細い草があった。草の先には赤紫色の楕円のボンボンがついている。 「ああ、よく見るよね。そんな名前だったんだ」 「昔、花の色が何色かって話になったときに、花が自分も紅いって言ったっていうのが名前の由来らしいよ。なんかさ、自分で自分の色を決められるっていいよね」 私のイメージする紅は、もっとオレンジがかっているような気がする。それでも、自分が紅だといえば、紅なのだ。人の目にうつる自分を否定するつもりはないけれど、進む道を決めてまっすぐに行くほうが憧れる。 「うん。いいね」 「リンリンはいつ帰るの?」 マイちゃんが空を見上げながら聞いてきた。 「明後日」 「そっかぁ、また遊びに来てね。そうだ、今度はうちに泊まりにおいでよ」 「え、いいの?」 「いいよー」 新しい約束をしてマイちゃんは帰っていった。マイちゃんの車が遥か彼方に消えても、私は夕日を受けて眩しく光る道を見続ける。 私も明後日、あの道を通って帰るんだ。そう思うと、安心とした様な寂しい様な複雑な気持ちになった。 帰る日の朝、慌しくなる前に挨拶をしようと食堂に向かった。 ちなっちゃんはまだ眼鏡をかけていた。ココアを何杯入れるか悩んでいる。お馴染みの光景だ。今日は三杯にしたらしい。湯が注がれて、スプーンでぐるぐると回し終わったのを見届けると声をかけた。 「ちなっちゃん、お世話になりました」 「いえいえ、こちらこそ」 お決まりの挨拶の後、同時に笑い出す。 「元気でね」 「リンリンもね」 今まで送る側の人間だったから、自分が送り出されるのは何だか気恥ずかしい。 「リンリン、これ」 後ろから声をかけられて振り向くと、ユッキーが水色の封筒を差し出していた。誰が始めたのか覚えていないけれど、手紙を渡すのはブームみたいになっていた。私は両手で受け取るとありがとうと言った。 「ユッキーも元気でね」 「気をつけて帰ってよ」 部屋に戻ると、まどかサンが髪をまとめているところだった。 「リンリン、忘れ物ない?」 「うん、大丈夫」 「帰り、気を付けてね」 「まどかサンも風邪ひかない様に気をつけてね」 玄関を出た三人を見送ると、部屋に掃除機をかけた。マイちゃんがいなくなってから、随分がらんとしてしまった二号室は、ますます広く思えた。せっかくなので、雑巾掛けもしておこう。 それでも時間が余った。うーん、どうしようかな。バスの時間まではまだ余裕がある。だけど、このままぼんやりしていても勿体無いな。 そうだ、ゆっくり歩いていこう。私はそう決めると、手荷物を整えた。忘れ物がないかもう一度確かめて、部屋から出た。一人部屋になった二号室の扉を閉める。 靴を履くと、靴箱の名札を取った。ただの紙切れだけど、捨てる気にはなれなくて、ポケットにしまい込む。 「お世話になりました」 最後に、誰もいない廊下に向かって言った。誰もいなかったから言えたのかもしれない。 いつものように玄関の扉を閉めて、鍵をかけると郵便受けに入れる。中に鍵が落ちる音がいつもより乾いて聞こえた。 そして、何度か振り向きながら、寮を後にした。 バスは少し遅れたけれど、駅には時間どおりに着いた。 駅は気温が少し違う気がした。ホームの椅子にカバンを置くと、上着を脱ぐ。ざわざわした街の様子が、私が別世界からやってきたことを教えてくれる。 しばらく待つと電車がホームに入ってきた。平日の昼間だからか普通列車だからか、数人しか乗っていない。余裕を持って座ることが出来た。 アナウンスが流れて電車がゆっくり動き出した。外の風景は止まっていた時間を取り戻すかのように流れていく。 しばらく眺めていると、トンネルに入った。乗り継ぎの時間を確認しようと、カバンの中の時刻表を出そうとした時、水色の封筒が目に止まった。 膝の上に時刻表を乗せて、その上に封筒を置く。手紙だと思ったのに、少し硬い紙が入っていた。 「あ」 ついつい声が出てしまって、周りを見渡した。音楽を聴いている人、本を読んでいる人、誰もこっちを気にしてなんかいなかった。ほっとして、封筒に視線を戻す。 中に入っていたのは、写真。二重虹を見た日に全員で撮った最初で最後の写真だった。私は指紋が付かないように気をつけて封筒から出した。 みんな、笑顔だった。日々の生活に追われて、こんなに良い顔をしていたなんて気が付かなかった。知らない場所で初対面の人たちと暮らして、そして手に入れた沢山の笑顔。 強くて優しいその姿は、吾亦紅の姿と重なった。 山が遠くなると携帯が待ちわびたように働き始めた。地元の友達、そして地元に帰っていった一葉寮の皆からのメールが次々と入ってきた。読んで返事をしているとまた入ってくる。 これは退屈しようがない。車窓の景色を見るのをやめてしばらく付き合うことにした。 それぞれが自分の生活に戻り、元気に暮らしているようだ。思い出を語る文面に、私の夏も終わったことを知った。でも、どんなに時間が流れても、この夏だけは鮮明に思い出されるだろう。 ビルの谷間からの日差しが眩しい。夏がもう一度戻ってきたみたいだ。 だとしたらあれは幻だったのだろうか。 そうかもしれない。あれは現実を生き抜くために必要な、現実の中にある幻。 桃源郷はこれからも同じ場所で、新しい物語が始まるのを待っている。 |
Xiang-ge-li-la! 完 |
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