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異界の境界の緑 第三話 木主 (ハシラ) |
その人は腰まである髪をまとめることなく風になびかせていた。木々の間から差す光が白い髪にあたり、それはまるで後光のようだった。 「ハクシャ。どうして? もう島を一周したとか?」 そう言いながらも、ニチアイの表情には「まさかそんな筈はない」という気持ちが明らかに現われていた。 「ニチアイ。翁(おきな)に伝えてくれるかしら? やっぱりニワウメで引っかかってしまいましたって」 予定されていた問題が起こったように、ハクシャは諦めを含んだ笑顔で言った。 ニチアイが仙人を呼びに行ったのを見送ると、モクノイと手を繋ぎながら彼女はソドウに近づいてきた。 「はじめましてハクシャです。ラーフジクから来ました。あなたは?」 彼女は自分がよそ者だと初めから言っている。おそらく、何度も繰り返した挨拶なのだろう。 「俺もラーフジクから。名前はソドウ」 ハクシャは目を丸くした後、納得したような表情を浮かべてモクノイへ話しかけた。 「モクノイが連れてきたのね」 「うん」 モクノイは得意気に笑った。 仙人は遠くにいるのだろうか。なかなかニチアイが戻ってこないので、ソドウとハクシャはそのまま立ち話をしていた。 「君も橋の工事でここに?」 「いいえ。大陸から逃げてきたの」 その言葉を受けて、モクノイが一生懸命喋ろうとする。 「私と兄様の父様は大陸の人なの」 「そうね。モクノイは大陸に行ってみたい?」 足元で飛び跳ねるモクノイと目線を合わせながらハクシャは話を続けていた。 「ううん。ここがいい。ずっとここにいるから」 「私はずっとラーフジクの山里に住んでいたの。ここみたいに大きな木はなかったけれど、傍にある洞窟には青の聖地と呼ばれる湖があって、とても綺麗な所だったのよ」 ちゃんと話を聞いてもらったことに安心したモクノイがハクシャの話を聞き始めると、ハクシャはソドウへ向き直り、話を続けた。 「その湖が真っ黒になり、村はさびれていったわ。多くの村人が大陸へ行く船に乗り込んでしまったわ。新天地があると信じて」 「新天地はなかったのか?」 これは大変なことだった。ソドウと一緒にラーフジクから来た大工たちは大陸に行ってしまっているのだ。勿論彼らも大陸が新天地だと信じて疑わなかっただろう。 「ええ。そこに求めたものはなかった。大陸の人間の狙いは人足。取り入って大陸に連れて帰り、あとは奴隷に。全ての人がそうだとは思わないけれど、大多数がそうだったわ。だから逃げてきたの。ラーフジクへの船には乗れなかったから、セイトーロ行きの船にこっそり乗り込んで」 女性ひとりで逃げるということはどんなに大変だっただろうか。ソドウは手を握り締めた。 ハクシャは哀しそうな瞳をして髪の毛を一束掴むと、笑顔を作った。 「長い旅のせいか気が付いたら髪は真っ白になっていたわ。白い髪はセイトーロでは神聖化されているから助かっているけど」 何が幸いするか分からない。そう言って笑うハクシャの前にソドウは座り込み、頭を下げた。 「すまなかった! いや、謝って済む問題じゃないのは分かっているがっ、とにかく!」 突然、ものすごい勢いで謝りだしたソドウにハクシャは少し後ずさりをした。 「どうして謝るの?」 「たまたま君と俺に接点がなかっただけで、もし君とあっていたら俺は君を大陸に連れて行ったに違いない。だから、謝るのは当たり前だ」 「ソドウが謝ることではないわ。それに、もう特定の人間を責めるだけで済む問題でもないから。ただ」 ハクシャは言葉の途中で木々の向こうから来る人影に気が付き、声をかけた。 「翁」 仙人が杖をつきながら歩いてきた。 ソドウはようやく立ち上がると、二人の会話を見ていた。 「やはりアリツキか」 「ええ、どうしても引き込まれてしまいました。ナシヅキが逃がしてくれましたが、先へは進めないので、戻ってまいりました」 「これからどうするのか、決めているかね?」 「もう一度ここからやり直そうと思います。前の枝はお返ししますね」 そう言ってハクシャは袂から白い布を取り出し、それに包まれていた小枝をニチアイとモクノイへ渡した。 ニチアイは両手で枝を受け取ると、言いにくそうに口を開いた。 「新しい枝を持ってくるよ。ただ、ちょっと時間がかかると思う。トリネコの予備がないんだ」 「ヒイラギはあるよ」 トリネコの木に向かうニチアイの姿を見て、モクノイは小屋の方へ走り出した。どうして枝がいるのか分からない。 ソドウの表情がそれを語っていたのだろう。仙人は二人の孫の後ろ姿を見ながら話し出した。 「ハクシャの旅は祈りの旅。この島に点在する祖堂をひとつひとつ回っているのじゃよ。そして、その神木の枝を集めるのが作法になっている」 祈りの旅。それがどういうものかソドウには分からなかった。だけど、「旅」というものに少しひっかかった。 自分はこれからどうしたいのか、全く想像ができない。だけど、せっかくここまで来たことだし、セイトーロのことをもっと知りたい。 ソドウはハクシャの隣に並ぶと真剣な口調で言った。 「旅に俺も同行させてもらいたい」 当然のことながらハクシャは首を横に振る。 「ただの旅じゃないわ。危険な旅よ」 「なら、なおさらだ。君は俺が守る!」 何て陳腐な台詞なのだろう。自分でも頭を抱えそうになるくらい嫌になったが、この場合、他になんと言っていいのかソドウには思いつかなかった。 ハクシャはしばらく考えこんだ。白い髪が風に揺れる。そして意を決した様子で小屋まで歩いて、こう言った。 「モクノイ、ヒイラギを二本頂けるかしら」 ソドウが旅立つことが急に決まった次の日。ニチアイは見覚えのある木箱をソドウに差し出した。 「あんたに早くこれが渡せて嬉しいよ。邪魔だったから」 「これ、俺の道具箱」 「兄様ね、村まで行って取ってきたの」 ニチアイが顔を真っ赤にしてモクノイを追いかけようとする前に、ソドウはニチアイを後ろから抱きしめた。 「止めろ! 気持ち悪い!」 ニチアイの言葉は悲鳴に近くなっている。 「ありがとう。これがあると元気になれる」 「もともとあんたは元気じゃないか!」 羽交い絞めにされたニチアイは手足をばたばたさせながら必死で逃げようとする。 しかし、ソドウはニチアイの言葉など聞いてはいない。ようやく開放されたニチアイはぐしゃぐしゃになった髪の毛を整えるのに必死だった。 「お世話になりました」 仙人に頭を下げると、ソドウとハクシャは祖堂の外へと向かった。 「境目が一番不安定だから気をつけてな」 暫く歩くと急に開けてくるところがある。足場はあまり良くなさそうだ。そう確認した直後、ソドウはずるりと足を滑らせた。 「うぉぉぉぉ?」 小さな坂だったのが幸いした。ソドウはしりもちをついたまま首だけを後ろに向けて、今下りたところを確認した。明らかに周りの木と違う種類の木が密集しているところ。それが今までいた祖堂だった。 そこには大きなトリネコの木が、まるで森の大黒柱の様に立っていた。 |
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