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  異界の境界の緑  第五話 木鬼 (エンジュ)
 
 朝、なのだろうか。ソドウは上半身を起こすと辺りを見渡した。
 暗い森の中でかろうじて、身体の上にかけてあった上掛けが見えた。
 立ち上がることも出来る。周りも闇ではなく普通の暗い森へと変わっていた。
 木々の隙間から歩いてくる人影が見えた。姿は明かりが少ないせいか、ぼんやりとしか確認できない。
「おはよう。かなり良くない夢のようだったね」
 心配する訳でも、馬鹿にする訳でもない。その声が夢を見る前に聞いた不思議な声ということはすぐに気が付いた。
 立ち上がって、額に手をやると思い切り寝汗をかいていた。だが、声の言うような完全に良くない夢というわけではなかった。
「ああ、少し疲れたよ」
 ソドウは足元の上掛けに手を伸ばした。四角に畳むほど几帳面ではないので、簡単にまとめる。
「少し? 変わってるね。アンタ、名前は?」
「ソドウだよ」
 名乗った後に驚かれるのはまだ慣れない。ソドウはとりあえず相手の出方を待った。
「オレの名はツカイリ。エンジュの樹木医だ」
 人影は少しずつはっきりしてきた。目を細めるとようやく姿が見えてくるぐらいになった。オレと言っているが女の子だ。背が高くてすらりとしている。声と同じく姿も中性的だった。
「顔を洗ってきたら? こう見えても水は綺麗なんだ」
 ツカイリはソドウから上掛けを受け取ると、手桶を渡した。
 水の透明度を見て確認することは難しかったが、さらりとした水の感触が手を包む。
喉が渇いていたので、深く考えずに口に含んだ。
 それは雪解け水のように冷たく、湧き水のように甘い。
 ツカイリから渡された手桶で水をすくい、頭にかける。これで目も覚めそうだ。
 顔を拭くものがないので適当に頭を振った。地面に落ちる水滴を目で追った。
 光が少ないためか、苔があちらこちらに生えている。
 おかげで、こんなところで寝ていた割に、身体も痛くないのだなと思いながら歩いていると、倒れている木につまずいた。
 いや、木ではない。人だ!
 ただ寝ているのとは様子が違う。ソドウは慌てて横たわる男性を力の限り左右に揺らした。
「おい、大丈夫か。しっかりしろ」
 体温は少し低めだが息はある。だが、頬を軽くたたいても彼は反応を示さなかった。
「無理だよ。それは起きてこられなかった人だから」
 ツカイリの言葉にソドウは手を止めた。
「冬眠みたいなものだね。たまにいつまでも起きることが出来なくて養分になるのもいるけれど」
 養分という言葉に絶句するソドウをツカイリはちらりと見て続ける。
「オレには人も木の葉も大した変わりはない。だから、サカキの奴らはオレを鬼と呼ぶんだ。まぁ、ソドウには聞きたいことがあったから、起きることが出来て良かったよ」
 早口で誤魔化すように言ったところをみると、人も木の葉も同じぐらい大切なのだろう。せっかく誤魔化しているので、ソドウは深く追求しなかった。変わりに質問をする。
「聞きたいこと?」
 そういえば、夢を見る前にも同じことを言っていた。
「そう。最近、地面の苔が木の幹にまで生えるようになったんだ。どうも様子がおかしい。アンタの手は木を知っている手だから、何か分からないか?」
 ツカイリに言われてソドウが手を当てた木にはびっしりと苔のようなものがついている。
「分かるか?」
 彼女は心配そうにソドウの顔を覗き込んだ。
「ちょっと待ってくれ」
 木を知っている手と言われても、ラーフジクとセイトーロでは木の種類が違った。しかも、ソドウは木材の扱いは人より慣れているが、ツカイリのような樹木医というわけではなかった。
 だが、どこかでこれと同じものを見たような覚えがあった。ソドウはその記憶の糸を注意深く引き寄せる。
 苔は地面にあるものより色が濃く、木の感触が分かるほどの厚みしかない。まるで衣だ。
「これは苔じゃない。茸のようなものなら見たことがある」
 その時に空気が澱んでいると出てくると聞いた。木が衣を纏い汚れた空気から自らを守っている。そう思ったのをソドウは思い出した。
 それをツカイリに伝えると、彼女は握り締めた手を血が滲むのではないかと思うくらい握り締める。
「やっぱりサカキの奴らのせいか!」
「さっきから言っているサカキって何だ?」
 ソドウの質問にツカイリは光の森を指差した。
「この祖堂のもうひとつの柱。ハクシャを連れ去った奴らがいるところだよ。あいつら光を求めるあまり夜でも火を絶やさないんだ」
 奇妙な森だ。片方は光を求め、片方は闇に飲み込まれている。ソドウは意を決して口を開いた。
「この森にはもうひとつ問題がある。闇が多すぎるんだよ」
 木には光が必要だ。エンジュという木はもっと枝を伸ばしているものなのに、ここでは周りの枝が伸びすぎている。そのため、全てが闇を作り出していて個々の特徴が失われていた。
「どうして闇はいけない?」
 ツカイリは不安そうに自分で自分を抱きしめた。この森で「養分」と呼ぶ人たちに囲まれてどんな気分だったのだろう。
「悪くないが、俺にはどうも闇を必死で取り込もうとしているようにしか見えないんだ。恐ろしいものから目を背けられなくなっている。本当は逃げ出したいのに」
 ソドウの言葉を途中で遮ってツカイリは睨みつける。
「ソドウは闇を恐れないとでも?」
「十分恐ろしいよ。俺の闇は俺を飲み込むだけの力を持っている。だけど、結局は自分の一部だからな。恐れているばかりもいられない」
 ツカイリは小さく息を飲んだ。自分は恐れていたのだろうか。光よりずっと恐ろしい闇と同化することで逃げていたのだろうか。
 考え込む彼女にソドウは優しく語りかけた。
「間を開けてもいいかい? 痛みがあったとしても手入れは必要だよ」
 ツカイリはその言葉に小さく頷いた。そして、森の中に消えていく。
 次に現れたとき、彼女はソドウの道具箱を持っていた。
 ソドウは伸びきった小枝を丁寧に落としていく。中には立派な木材となりそうなものもあった。
 
 
 作業は数日間続いた。少しずつだが闇の森に小さな光が降りてくる。
 ツカイリはその光に少し身をかまえた。今まで闇の中にいて、今さら簡単に光を受け入れることは出来ないのだろう。だけど、瞳は真っ直ぐに光を受け止めようとしている。
 そして、身をかがめると地面に落ちている枝を自分の一部のように拾い上げた。
「オレひとりでは使い切れそうにない」
 その声は途方に暮れていた。
 ソドウも枝を拾い上げ、彼女に真っ直ぐ向き合った。
「この木は切り倒した者の責任として、必ず使う。約束するよ」
 どうしてそう言ったのかは分からない。自分は旅の途中だ。すぐにここに戻ってくることは考えられない。だけど、ソドウの言葉に安心したようにツカイリは笑った。
「そろそろ行くよ。ハクシャも待っているだろうから」
 ツカイリは手に持っていたエンジュの枝と、花の蕾を乾燥したものをソドウへ手渡した。
「サカキは恐ろしい所だよ。人は神に近づきすぎてはいけない。狂ってしまうから」
「覚えておくよ」
 闇の森に差す光は柔らかく、霧は紫色に輝いている。ゆっくりと森の速度で自然の姿を取り戻そうとしているかのようだ。
 それに比べて光の森の異様さはツカイリが言うまでもなかった。ハクシャは大丈夫だろうか。
 そして、ソドウは光の森へと足を踏み入れた。
 
 
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