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異界の境界の緑 第十六話 木楽 (クヌギ) |
固い地面にちらほらと落ち葉が混ざり始めた。前を歩いていたユキツメが足音の変化に複雑な表情を浮かべる。そして意を決したように振り返ると、ひとつの道を指差した。 「このまま進むと今日中にクヌギに辿り着くよ」 「ユキツメは一緒に来ないのか?」 ソドウの問いにユキツメは小さく頷いた。 「うん。アズサが本当に森と呼べるものになったら、堂々とオリユメに会いに行くよ」 ソドウはユキツメの憂いを含んだ微笑みに対してかける言葉が見つからず、道案内の礼を告げるだけにした。 「ここまでありがとう」 手の甲で鼻を擦り、ユキツメが照れくさそうに笑った。そして、足早に来た道を戻ろうとする。ソドウの脇を走り抜け、ハクシャとすれ違う時、ユキツメは囁くように言った。 「どうか気をつけて」 どうしてソドウではなく自分に告げたのかとハクシャは不思議に思ったが、聞き返すことが出来ないまま、ユキツメの姿はアズサの森へと消えていった。 冷たい追い風が重い足を進ませ、乾いた足音が沈黙をさらに寂しいものに変えていく。ソドウとハクシャは頭を垂れながら、一歩一歩確かめるように踏みしめていった。 灰色の空が少し明るくなり始めた頃、小さな人影が二人の前に現れた。人影はソドウとハクシャが近づくのを待っている。二人が近づくと落ち着いた目をした少女が穏やかに言った。 「クヌギの森へようこそ。私はこの森に住むオリユメです」 真っ直ぐな背筋ときちりと纏められた後ろ髪が、凛とした表情をひき立てていた。 「俺はソドウ。今までユキツメも一緒にいたんだが……」 ソドウは来た道を振り返った。ユキツメの姿はもう見えない。 オリユメは少し落胆したような、分かっていたような微笑みを浮かべた。 「そうですか。またいずれ彼とは会うことが出来るでしょう。ところでそちらの方は?」 オリユメの視線を追うようにソドウがハクシャを見た時、突然、ハクシャが膝をおって地面に倒れこんだ。ソドウは何が起きたのか全く理解が出来ず、声も出せずにただ立ち尽くした。 ハクシャ自身も、自分に何が起きたのか分からず困惑していた。意識はあっても、身体が重く、手足を動かすことすら出来ない。クヌギの落ち葉が頬に当たり、その棘が緩やかな痛みをもたらすことを漠然と感じていた。痛みは次第に大きな波となっていき、ハクシャは目を見開いたまま、どこか遠くを見続けた。 ソドウは驚きながらオリユメを見た。先ほどからオリユメは一歩も動いていない。何かをした様子はなかったが、思いがけないことが起きたような表情は浮かべていなかった。ソドウはオリユメとハクシャを交互に見ると、疑問を抱えたままハクシャの前に跪き、両腕を伸ばした。 ハクシャは何かを訴えかけるように口を動かしている。けれど声は発されず、視点も定まらなかった。 「ハクシャ!」 ソドウは何度も腕の中にいるハクシャを呼び続けた。身体は痙攣を起こし、声は届かない。とにかく水を口に含まそうと考えたソドウは荷物を探った。けれど、焦っているためかなかなか水入れが見当たらない。 「床を用意しますので、ゆっくりと運んで下さいますか?」 落ち着いた声にソドウが視線を上に向けると、オリユメが覗き込むようにして立っていた。彼女の慣れた様子にソドウは戸惑いながらも頷いた。真っ直ぐ歩いていくオリユメの細い肩を見ながら、ハクシャを抱きかかえる。 「こちらです」 案内されたのは清潔な小屋だった。オリユメの生活にあわせているためか、扉は小さく天井も低い。ソドウは前かがみになりながら、奥の部屋へと進んでいく。 「どうぞ」 ソドウはオリユメに促がされて、ハクシャを寝台へ横たわらせた。オリユメは室内の棚に手を伸ばし、乾いた草を取り出した。手首を返しながら確認するように草を見ると、彼女は所在なさげに立つソドウに話しかける。 「薬草を煎じてきます。反応は出来なくても、こちらの声は届いていますから、話しかけてあげてください」 オリユメが部屋を出て行き、ソドウは横たわるハクシャの顔を見た。依然として目は見開いたまま、小さく震えている。早くどうにかしてあげたいと思うけれど、今はオリユメを待つことしか出来なかった。 「大丈夫だ。疲れが出ただけだよ」 ソドウは手をハクシャの手に重ねると、自分に言い聞かせるように言った。 長い沈黙が部屋に漂っているようにソドウは感じた。差し込む光は全く変わっていないので、本当はあまり時間が経っていないのかもしれない。近づく足音に、ソドウは祈るように視線を上げる。オリユメが小さな鍋を両手に持って部屋に入ってきた。 「それは?」 「安眠薬です」 「それを、飲むのか?」 その量と匂いにソドウは目を丸くした。オリユメはソドウと薬湯を見比べて、小さく笑う。 「濃くしてきましたから、湯気を吸い込むだけでいいですよ。身体が弱まっている分、緩やかに効いてくるほうが好ましいのでそうしました」 オリユメはそう言うと、寝台の横にある小さな机に鍋敷を敷き、湯気が立ち込める鍋を置いた。部屋は眠りを誘う香りで包まれていく。ハクシャの表情も少し柔らかくなってきた。眠りに誘われる直前の、夢と現実の狭間にいるように目を開けたり閉じたりしていた。少し安心したソドウは浮遊していた疑問を口にする。 「一体どうしたというのだろう?」 ハクシャの小さな寝息が聞こえ始めた。オリユメはそれを確認すると、凛とした声で語りだす。 「この森は外界に近いところにあります。長く祖堂に居続けると、身体が元に戻ろうとして軋むのです。彼女は余程深いところにいたのですね」 ソドウはオリユメの言葉が理解できずにいた。深いところと言っても、同じようなところを歩いてきた記憶しかない。 「時間は長かったと思うが、途中からは一緒に旅をしてきたんだ。何か他に原因がないのか?」 「同じ場所にいたからといって、同じ旅をしてきたと言えるのでしょうか。目に映るものは人によって違うでしょう? 隣にいても心まで近いとは限りません」 ザクロの森を出てからのことを思い出して、ソドウは慎重に頷いた。 「少し眠れば良くなるのだろうか?」 ソドウの問いに、オリユメは少し沈黙した後、小さく言う。 「回復は見込めます。ただし、再び目を開けることが出来るならの話ですが」 「どういうことだ?」 「身体が回復しても、心がそのままだとしたら、意識は戻らないということです」 ソドウは眠るハクシャの顔を見た。薬が効いているのか、幾分穏やかな表情になっていた。 「意識が戻らないようには見えないな」 「目に見えることが全てではありません。種の中で何が起きているかは、春に芽吹かないと分からないように」 そう言うとオリユメは窓の外を見た。ソドウもつられて外を見る。森は静まり返っていたが、外の世界とかけ離れているようには思えなかった。これも目に見えている表面的なことで、本当は違うのだろうか? 「あなたは動くことが出来ます。先に進んだほうが良いのではないでしょうか?」 オリユメの提案に、ソドウは首を横に振った。 「いや、俺はハクシャを待つよ」 「ここに立ち止まることはお薦めできません。長い間、祖堂に居続けるということは、森の一部になるということ。私たちのように自らの時間を森と同一にしてしまうか、人としての名を失うかどちらかを選択することになるでしょう」 「名を失う?」 その言葉の意味が分からず、ソドウは聞き返した。 「ええ。貴方は最初の祖堂で老人に出会いませんでしたか?」 「ああ。彼なら出会ったよ。傷の手当てをしてくれた」 「彼の名を覚えていらっしゃいますか?」 ソドウは記憶を辿った。怪我のせいか頭がはっきりしなかったので、名前が聞き取れず、仙人と呼んでいた。そういえば、ハクシャは翁と呼んでいた。後で思い出せると思いながら、今まで思い出すことがなかった。ソドウは正直に答えることにする。 「名前を聞いた気はする。だけど、思い出せない」 「発しても届かないのです。植物の叫びと同じように」 今はまだ、名を持つことが出来ている。だが、いつ名を失うかは分からない。例え、その時が来るとしても、自分はハクシャを置いて行くだろうか? 自問自答してみた答えは否だった。 「とにかく、俺は待つ」 ソドウが握りしめた拳を開くと掌にうっすらと汗をかいていた。覚悟は出来ているとは言えない。それでも、今は待ち続けることしか出来なかった。 ソドウの気持ちを察したのか、オリユメは忠告を重ねることはなかった。 「そうですか。それでは部屋を用意しましょう」 「ありがとう」 オリユメが部屋を用意している間、ソドウは椅子に座りハクシャの顔を見つめた。その瞼は動きを見せず、静かな寝息は機械的に繰り返されている。 「早く戻っておいで」 願いをこめたソドウの呟きは薬湯の湯気と共に天井へ吸い込まれていった。 ふと気がつくと、静かな小屋の中に立っていた。薬の匂いが部屋中を漂っている。 「ここは……」 私は辺りを見回した。薄い木の板で作られた棚には薬草が並べられている。全てに見覚えがある。ここはラーフジクにある私の小屋だ。 でも、あの村はもう寂れてしまった。誰も立ち入らなくなって朽ちた小屋を私は覚えている。なのに、壁の外からは子供が遊ぶ声が聞こえる。 現状を受け止めることが出来ず、室内をただ歩き回っていると、いきなり扉が開いた。 「ハクシャ! またウンリュウが倒れた」 入ってきた村人の顔は知っていた。でも、この人とはセイトーロに向かう途中ではぐれた筈だ。 これは夢だ。それが分かっていても身体は止められない。私は即座に薬草を手にすると、ウンリュウの家へ急ぐ。 小屋の外は光に溢れていた。賑やかな村には清らかな水と微笑みが満ちている。懐かしい村を横目に走り続け、ウンリュウの小屋へ入る。 彼は寝間着姿で寝台に座り、怒られる前の子供みたいに首をすくめていた。 「少し雨に当たっただけだから、大丈夫だよ。みんな大げさなんだ」 「あれほど、雨の日は外を歩かないでと言ったでしょう」 あきれながら熱を測る私を見て、彼は何事もないように笑う。 「霧雨だったから気持ちよかったよ。はい、お土産」 指差した先には、わずかな湿気を好む薬草があった。驚いたけれど、この状況では素直にありがとうと言えない。 「薬草を取ってきてくれるのは嬉しいけれど、貴方が使ってしまったら同じことだと思わない?」 もう少し言いようがあるだろうに、どうしてもこんな言い方しか出来ない。 「ああ、それもそうだね」 相変わらずの笑顔。何も変わっていないように思えてくる。私は記憶を辿るようにいつもの言葉を投げかける。 「調合してくるわ。思い切り苦いから覚悟しておいてね」 「苦いのは嫌だ」 また、子供みたいなことを言って。つい苦笑いが浮かんでしまう。 「いつまでも口に含んでいるからよ。飲み込んでしまえば何てことないのに」 「辛い気持ちや、やりきれなさも同じかな?」 「え?」 ウンリュウの言葉に手が止まった。彼はこんな風に遠まわしに言ったりしない。やっぱりこれは夢だ。ここにいるウンリュウは過去の彼ではない。私の中にいる彼が、今の私に何かを伝えようとしている。 「いつまでも抱え込むより、いっそ飲み込んで自分のものにしてしまったほうが、楽なのかもしれない」 楽という言葉に私はひっかかった。弱いからこそ流され続けるのは、もう止めにしたいと心から思う。 「楽なのはいいけれど、目の前にあるものから逃げるのは嫌だわ」 私が発した言葉から、なにかもやもやしたものが浮かび上がってきた。ピリピリとした嫌な感じを受ける。これが、私の痛みだろうか? 目を背けたいと思いながら、それに耐えていると、ウンリュウが優しく微笑んだ。 「逃げないよ。でも、全部真正面で受け止めたりもしない。飲み込んでしまえば何てことないんだろう?」 先ほどの自分の言葉を返されて、黙るしかない。私は唇の端に笑みを張り付かせながら、精一杯答える。 「意地悪ね」 「ハクシャが耐えられるって信じているからね」 そう言うと、ウンリュウは浮かんでいたもやもやしたものを手に取った。 「さあ、ハクシャ。薬を持ってきて。一緒に飲み込んでしまおう」 私は戸惑いながら、薬を調合し、彼に渡した。そして、代わりに彼が持っていたものを受け取る。ウンリュウはもう促がすことはしなかった。薬を飲む準備をして、微笑んでいる。 彼の笑顔に後押しされるように、私は辛い出来事を一気に飲み込んだ。軋むような痛みが波のように身体中を駆け巡る。その波が次第に緩やかになり、私は小さく一息ついた。 「やっぱり苦いね」 薬を飲んだウンリュウが眉間に皺を寄せながら、苦笑いした。 「そうね」 私は声を出して笑う。この痛みに慣れるということはないかもしれない。それでも、相対し続けるより、飲み込んでしまったほうが、確かに楽になった気がする。完全に自分のものにしていくのはこれからの話だとしても。 「ウンリュウ?」 微笑む彼の輪郭が曖昧になっていく。同時に自分が空気に溶け込むように感じる。このまま漂うことを望まないでもない。だけど、私は私の場所に帰らなくては。動かない身体を精一杯動かすように、私は身を捩りながら腕を伸ばした。 ハクシャが眠り続けて二十日が経った。ソドウはオリユメの仕事を手伝いながら、時間が空くとハクシャの眠る部屋に立ち寄った。ハクシャの様子は相変わらずで、ソドウとオリユメの表情は暗かった。 オリユメはハクシャの身体を拭きながら、廊下に出ているソドウに、静かに言った。 「このまま待ち続けるより、あなたは出発した方が良いと思います」 ソドウは言葉を失った。目覚めるという保障は全くない。正直なところ、不安は拭いきれなかった。沈黙の後、彼は搾り出すように答える。 「いや、もう少し待ってみるよ」 オリユメは布をぬるま湯につけると、力を入れて絞った。布に蓄えられていた水分が、桶へと戻っていく音が響く。 「一人なら動くことが出来るのに、どうして待ち続けるのですか?」 ソドウは廊下に使われている板の年輪を数えながら考えた。同じように見える日々も、大きな重なりのひとつになるのだろうか。通り過ぎた旅路が頭を過ぎる。 ソドウは顔を上げた。窓の外には木々が支えあうように立っている。 「はっきりとこれだとは言えないけれど、ひとつの祖堂を二人で守っているのと同じ理由かもしれない」 確かめるようなソドウの言葉を、オリユメは噛み締めた。 「それなら分かる気がします。もっと色々なものが見えていた、あの頃が懐かしいと思いますから」 あの頃というのは、アズサの森が立ち枯れる前のことだろうとソドウは察して、元気づけるように言った。 「ユキツメのことだから、すぐに元気な顔を見せに来るよ」 オリユメの顔は見えなかったが、小さく頷いたのはソドウにも分かった。 彼女はハクシャの衣服を整えると、桶を持って立ち上がる。 「終わりました。もう、入ってきても大丈夫です」 「ああ」 ソドウが部屋に入ろうとしたその時、がたんと重い物が落ちる音がした。 「オリユメ?」 彼が驚きながら部屋に立ち入ると、床には桶が転がり、小さな水たまりが出来ていた。オリユメは、寝台を見て驚愕の表情を浮かべている。ソドウはオリユメの隣へ歩み寄った。そして、言葉を失った。 寝台から、細くて白いハクシャの腕が真っ直ぐ空へと掲げられていた。 ソドウはその腕を取ると、ハクシャを抱き起こそうとする。しかし、それはオリユメの小さな腕に制止された。 「今はまだ狭間を漂っています。急に動かすことは好ましくありません」 もう少し待とうと自分に言い聞かせながら、ソドウはハクシャの身体から腕を離した。そして、未だ何かを掴むように伸ばされたハクシャの手を、自分の両手で包み込む。 「待っているから、必ず戻っておいで」 小さな声には力強さが秘められていた。オリユメは二人の間から離れ、見守ることにした。 時間の感覚は曖昧だ。ソドウは気が遠くなるほど、長い時間そうしているような気がしたが、床の水たまりに変化はなかった。 ハクシャの身体は、水面にいる魚のように動き続けたかと思うと、川底の石のように静止した。そして、小さく震えた後、瞼が動き始めた。 ハクシャの瞳が久しぶりに光を捉える。その中に、自分の姿を確認して、ソドウは目頭が熱くなった。彼が上を向いていると、オリユメが二人の間に入ってきた。 オリユメはハクシャの熱を測り、呼吸の音を聞いた。そして、心配そうに見つめるソドウに微笑みかける。 「まだ、完全とは言えませんが、もう眠り続けることはないでしょう」 「ああ、良かった」 安堵のため息をついたソドウに、意識がはっきりしてきたハクシャが問いかける。 「ここは?」 「クヌギの森だよ。後でゆっくり話そう」 話したいことは沢山あった。それでも、ソドウはハクシャを休ませることを優先した。時間はこれからいくらでもあるのだから。 「何だか身体が重いわ」 横たわったまま天井を見ながらハクシャが呟く。オリユメはなだめるように話しかけた。 「あなたは二十日の間、眠っていたのです。身体が思うように動かないのはそのためです。慣らしていけば次第に動くことが出来るでしょう」 「看病してくれてありがとう」 ハクシャの言葉にオリユメは照れくさそうに笑った。そして、足下に転がった桶を拾い上げると、足跡で広げられた水たまりを集めていく。 「ずっと傍にいたのはソドウです。私は出来ることしかしていません」 「ありがとう」 ハクシャはもう一度、感謝を言葉にした。この気持ちを表わす他の言葉が見当たらない。だからこそ、この言葉に気持ちを込めた。 重い身体と、痛みを感じながらも軽くなった心。木々のざわめきを聞きながら、ハクシャは今自分がここにあることに感謝した。 翌日から、ハクシャは動き始めた。最初は寝たまま脚を動かす程度だったが、次第にソドウに支えられながら立つことが出来るようになった。長い間、森を歩き続けたせいか、歩きに支障が出なかったことも不幸中の幸いだった。 それでもまだ完全とは言えなかったが、オリユメの強い薦めで二人は旅立つことになった。あとは普段の生活で元に戻していくのが一番良いと彼女は言った。 そして、旅立ちの朝。オリユメはクヌギの枝を二本差し出した。 対するハクシャの表情は固い。彼女は沈んだ声で理由を話し出す。 「私には受け取る資格がないわ。結局、何も出来なかったのだから」 まさか、そんなことを言われるとは思っていなかったオリユメは困惑の表情を浮かべた。 ソドウは助け舟を出すような気持ちになりながら、強い口調で告げる。 「ハクシャ。君は何もしていないと言っておきながら、全て自分の責任にしたいようだけれど、存在は一因にしか過ぎないよ。その時、雨が降ったから朽ちかけていた木は土に戻ることが出来た。ただ、それだけのことだ」 ハクシャにもソドウが言っていることの意味は分かった。関われることにも限度というものがある。それでも、まだ納得は出来ない。 「まだ、そこまで割り切れないわ。だけど、何も出来なかったという事実を自分のものにしていこうと思うの。だから、受け取れないわ」 ハクシャの決心は固いようだった。けれど、オリユメは引き下がらなかった。 「だからこそ、受け取ってください。そして、お願いがあります」 オリユメの揺るぎない真っ直ぐな瞳を、ハクシャとソドウは見た。 「私は長い間あなたたちのような旅人を見てきました。その中の何人かは元の生活に戻っても、やり残したことがあると言っては祖堂に戻ってきます。結局、何度巡っても違和感が残る。それは何かをやっていないからではありません。何かを得たからこそ、今までと同じようにものを見ることが出来なくなっているのです」 風が三人の間をすり抜けていった。オリユメは深く頭を下げる。 「お願いします。もう、ここには戻ってこないで下さい。祖堂にはあなたが求めるものはありません。あなたが求めるものはあなたの中にしかない。それを覚えていてください」 「ああ、約束する。だから顔を上げてくれ」 ソドウの返事にオリユメは上目遣いになりながら、顔を上げかけた。彼女はもう一人の返事がないことに少し不安を抱えていた。 その視線の先で、ハクシャは自分の中のウンリュウを思い出していた。もう、祖堂の力を借りなくても、出会うことが出来るだろう。そして、横にはソドウがいる。この約束は守ることが出来るとハクシャは確信した。 「分かったわ」 短く答えると、ハクシャは差し出された枝を手に取った。最後の枝は、湿気を含んでいるせいか、重く感じた。この重みに耐えられる時が来るのだろうか? その時、どんな風景が広がっているのだろうか? 今は想像も出来ない。それでも歩き続けることは出来る。 ハクシャが枝をしまい込むと、オリユメはほっとしたような表情を浮かべて微笑んだ。 「お元気で」 「ありがとう」 手を振り、森から出て行く二人の後姿をオリユメは見送った。風が二人を追いかけるように通り過ぎていく。木々のざわめきは、もうしばらく止まりそうにない。彼らの進む先に新しい道がある。その道が、出来るだけ穏やかであるようにと、オリユメは祈り続けた。 |
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