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  至上の天上の青  第六話 紫の帰還
 
 何も知らないエンレイはどんどん上へと登っていた。
 空気は澄んでいた。
 地面は見渡す限り、石と砂の世界が続く。
 空の青さすら痛く感じた。
 風は冷たく刺すようだ。
 頂上が見えると海底の青のかけらが光っていく。
 エンレイがここで間違いないと思ったとき、視界が開けていった。
 そして、灰色の世界の向こうに青と白と緑の世界が広がっていた。
 灰色の地面、雲の白、木々の緑、氷の白、水の青。
 そしてその上に平等に天上の青はあった。
 ここが天上の青。 
「ガルヤ」
 エンレイは山の頂上で膝を着き、海がある方向に伝える。
「俺、見つけたよ。天上の青を」
 自分の足元には死が、目の前には生がある。
 生と死は繋がっている。
 どっちが先とか後とかじゃない。それはいつも同じところにあるんだ。
 風の中に声でない声を聞いた。
 これがカビラの言っていた青の声だろうか。
 その時、エンレイの守人の印が青く光った。
 彼は慌てて左の掌をおさえた。
「まだ、待って。選ぶのは二人揃ってからだ」
 祈りが届いたのか、次第に光はおさまっていった。
 すると、光の向こうに異質なものが見えた。
 哀しい黒。
 あそこに行かなくてはいけない。
 エンレイはシエルとカビラにそれを伝えようと下へ降りていった。
 
 意識を失ったカビラを見ながらコウは言う。
「消せと言われていたのに、情が移ってしまったようですね」
 シエルは下唇を噛んだ。
「お前らの目的は何だ」
 シエルは彼らの狙いを見抜けなかった自分を歯痒く思った。
「何だと言われましても。私たちの望みはたった一人の笑顔を見ることだけですよ」
 コウとリボクはカビラを見た。
「あんなふうに壊れてしまったのですよ。聖地は今の世には必要ないのです」
「それで? お前は俺を壊しに来たのか?」
「この旅を終わらせに来たのです」
 コウは右手に短剣を持っていた。
 このままでは殺される。シエルはそう確信した。
 死はいつも近くにあった筈だ。
 だけどこれで終わりではない。
 その先にいる本当の闇が消えない限り、この旅に終わりはない。
 コウは薄い空気にもかかわらず、間合いをつめてくる。
 シエルは避けるだけで精一杯だ。
 ガルヤを結果的に死に追いやった憎むべき人間が今、自分に危害を加えている。
 シエルは自分の中に強い怒りと殺気を感じた。
 何を武器に出来る?
 コウが火薬を使わないのは火がつかないからだ。
 武器はコウが持っているものしかない。
 それならそれを奪うだけだ。
 コウはシエルの意図に気づいたようで、長期戦に持っていくつもりだ。
 薄い空気にシエルの体力がだんだん奪われていく。
 致命傷にはならなかったが、切られているのは服だけではない。
 シエルの足が石のせいで一瞬だけ行き場をなくした。
 コウはそれを見逃さずに一気に飛び込んできた。
「シエル!」
 エンレイがシエルとコウを見つけた。
 倒れているカビラとそれを見下しているリボクも。
 あれでは間に合わない。
 白い海に消えたガルヤが脳裏に浮かんだ。
 もう、何も失いたくないんだ。
 さっき見た黒がエンレイの中にも入り込んできた。
 奪われる前に奪ってしまえ。
 彼の目はもう何も見ていなかった。
 ただ、消すことだけが頭を支配する。
 エンレイの持っている海底の青のかけらが妖しく瞬いた。
 カビラの持っている湖底の青のかけらがそれに答える。
 その二つから発せられた紫の光が雷のようにコウをうった。
 コウが地面に倒れていく。
 しかし、コウは最期の力でシエルの肩へ剣を刺すとそのまま胸まで割いた。
 
 あれだけ憎んだコウの終わりはあっけなかった。
 シエルは自分の血に染まる動かないコウをただ見ていた。
 あの紫の光。あれはガルヤを失ってからずっと俺の中にあったものだ。
 そして、ようやく消えようとしている。
「エンレイ。もういい、終わったよ」
 シエルは放心状態のエンレイの頬に手を差し伸べる。
 エンレイはシエルの手がやけに濡れていることに気づいた。
「シエル?」
「天上の青は見つけたか?」
 痛みに汗を滲ませながら、シエルは聞いた。
 エンレイは力強く頷いて山の頂上を見上げた。
「天上の青は確かにあそこにあったよ」
 シエルの息は苦しそうだ。
「青のかけらがこんな力を持っているなんて思いもつかなかったな」
 まだかけらはぼんやりと紫の光を発していた。
 カビラからそれを取ると、シエルはエンレイに言う。
「お前のもよこせ。俺が全部持って逝く」
「逝くって、シエル」
 泣きそうなエンレイを見るシエルの目はかすんできていた。
「生きていくのにその光は必要ない」
 あの紫の光は憎しみの色。自分も相手も傷つける、そういったものだ。
「憎しみは俺が持って逝く。真実をみつけるまでこっちには来るなよ」
 そう言ってシエルは自分の身体から短剣を抜いた。
 宙を舞った短剣は地面の石にあたり、乾いた音をたてる。
 赤く染まったシエルが崩れるように倒れていくのをエンレイはただ見ているしかなかった。
「シエル! シエル!」
 シエルの身体が少しずつ熱を失っていく。
 声が届かないのは分かっていても、エンレイは呼ぶことしか出来なかった。
「俺まだ、ちゃんと言ってない。言いたいことがいっぱいあったんだ! 言葉に出来るまで一緒にいてよ」
 その心からの願いを聞いてくれる人は紫の光と共に逝ってしまった。
 
 紫の光はシエルと共に消えていったが、心の奥の憎しみはそんなに簡単に消えはしなかった。
 エンレイは向き合ったリボクの首に手をかけた。
 リボクは冷めた目をしてエンレイを見ていた。
 両手に力が入ってくる。自分にそれだけの力があるなんて思わなかった。
 今まで何を見てきたんだろう。
 横たわるシエルとコウ。こんなことになるなんてさっきまで想像もしていなかった。
 リボクがコウの仲間なんて思いもよらなかった。
 それに、カビラが意識を失うほどのことって何だ?
 真実はどこにある?
『真実をみつけるまでこっちには来るなよ』
 シエルの言葉が脳裏に浮かんだ。
 エンレイの力が一瞬弱まった。
 いきなり空気を吸い込んだリボクは肺を押さえて膝をついた。
「ど……うして、急……に……止めた?」
 咳をしながらリボクはエンレイを見上げた。
 エンレイは片膝をついて、リボクと同じ目線になった。
「本当のことを聞いてからでも遅くないと思って」
「カビラのこと?」
 エンレイは静かに頷いた。
「カビラには湖底の青が重かったんだよ」
 息を整えて、リボクは語りはじめた。
「生まれたときから青の声が聞こえるのが、どういうことか僕には想像もつかない」
 今、エンレイに聞こえている青の声は優しいものだけではなかった。
 むしろ、なにかに怯え、震えているような声だった。
「毎日聞こえる不安定な青の声。日々変わっていく村の様子。先の見えない不安。初めて会った頃のカビラは本当に不安そうだった」
 リボクの目線を追って、エンレイは赤い湖を見た。
「だから、青が危険だとコウが言っただけで、最初の薬を湖に入れたんだ」
「リボクも湖底の青にいたのか?」
「うん。コウの傍にいたよ。カビラは覚えていないみたいだけど」
 二人はカビラを振り返った。
 カビラはいつの間にか意識を取り戻していた。
 しかし、焦点は定まっていない。だらりと両手を下ろして座っている。
 エンレイは鼻に皺を寄せた。
「カビラを大切に思っているように見えたのは演技だったのか?」
「違うよ。本当に好きだから、早く救ってあげたかったんだ。青が無くなれば、誰も悩むことなんかない」
 誰も? カビラだけではなくて?
「他にも誰かいるんだ。青に苦しんでいる人が」
 エンレイはそれこそが、あの天上の青で見た黒い光だと確信した。
 リボクは目を伏せた。
「もう、いいだろう。早く僕もコウのところに連れて行ってよ」
「連れて行くところはそこじゃない」
 エンレイはシエルが青に戻してくれた二つのかけらを拾い上げた。
 横たわるシエルに最後に声をかける。
「今の俺では無理だけど、いずれ海に還してあげるよ、シエル。もう少し待ってて」
 そして、地面に転がったコウの短剣を拾い上げると、布に包んでリボクへ手渡した。
 無言のまま、エンレイはカビラを背負う。
「さあ、行こうか」
「どこへ?」
「黒い湖へ。そこにリボクの知っている人が来ているよ」
 
 
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