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  Xiang-ge-li-la!  第三話 飛行機
 
 一葉寮の朝は早い。空が明るくなる頃、遠慮がちな足音がしたかと思うと、次第にいくつもの足音が追いかけていった。私は上半身だけ起こすと、両隣のベッドを見た。右隣のまどかサンは既に起きて一階に降りているようだ。左隣のマイちゃんは、まだ寝ている。
 部屋は縦に長細く出来ていて、奥にベッドが三つ並んでいた。昨日見たときは、どうやってシーツをかけようか迷ったくらいだ。
 横に降りれないことはないけれど狭いので、尺取虫のように足下へ移動する。マットはホテルで使わなくなったものだそうで、ちょっと古くて軋むような音がした。寝心地が悪くないのが唯一の救いかもしれない。
 私はマイちゃんを起こさないように、注意しながら扉へ向かう。薄い扉は予想通り、ぎぃという音がした。慌ててマイちゃんを見ると、変わらない寝息が聞こえたのでほっとする。
 一階に降りると、まだ七時になったばかりだというのに、食堂に出勤組が揃っていた。すずちゃんの隣には今日休みの筈のかおりんまでいる。今、朝食をとっているということは、いつ起きたんだろうか。早起きすぎて、ちょっと驚いてしまった。
「おはよう」
 声をかけると、あちらこちらから返事が返ってくる。大家族ってこういう感じなんだろうか。
「早起きだね、リンリン」
 ちなっちゃんの声がした方を向くと、何だか昨日と印象が違った。ああ、そうだ。眼鏡をかけていないんだ。でも、ちなっちゃんは普通に食堂内を歩いている。見えているのかな?
 私の視線に気づいたのだろう。ちなっちゃんは顔に手を当てて、少し考えた後、説明してくれた。
「ああ、仕事の時はコンタクトなんだ。その方が楽だから」
「もう、出かけるの?」
 どう考えても支度が早すぎる。確か、出勤時間は八時半だったはず。
「今日は吉木さんが休みだからね。まどかサンと私は鍵を預かってるから、ちょっと早めの出勤になるんだ」
 ちなっちゃんはバーベキューハウスの準責任者で、まどかサンは直売所の準責任者らしい。短期バイトだというのに、責任の大きさに驚いてしまう。
「大変だね」
「もう、普通になっちゃったかな? ここは三回目だし」
 そんなベテランさんだったんだ。昨晩、沢山話したようで、知らないことがまだまだありそうだ。
「じゃあ、まどかサンも三回目?」
「私は二回目。一昨年と今年ね。だから、去年出来た直売所と、この寮は初めてなのよ」
 何気なく質問した私へ、まどかサンは困ったように笑った。別に、ちなっちゃんと比べた訳ではなかったけれど、結果的に同じことになった。
「ご、ごめんなさい。そういう意味じゃあ」
 私の言葉を遮るように、まどかサンは頷いた。
「うん。じゃあ、行ってきます」
 その返事の意味が分からず、焦る私をすり抜けて、まどかサンはあっさりと去って行った。ちなっちゃんは慌ててまどかサンを追いかける。
 食堂内に非常に気まずい空気が流れる。朝からこの空気を作ってしまったことに落ち込む。何をやってるんだ、私は。
 床の木目模様を覚えるほど見つめていると、ぽんと肩を叩かれた。後ろを見るとユッキーがいた。
「私も同じこと言ったけど、大丈夫だったよ」
「ユッキーも?」
 私の言葉に頷くと、ユッキーはしみじみといった様子で語る。
「同じ時期に入ったって言ってたのに、寮の説明はちなっちゃんだけがしてたから、ちょっと気になってね。前はバイトの人数が少なかったから、社員寮を使わせてもらってたんだってさ」
「建物の古さからいって、去年から使われてる寮なんて思わないもんね」
 どんまいどんまい、とかおりんがコーヒーに砂糖を入れながら笑った。
「おはようございます」
 食堂に現れたのはルンルンだった。朝から清々しく笑っている彼女は眩しい。
「おはよう」
 挨拶をして、部屋に戻ろうとしたユッキーが思い出したように、廊下から顔だけ覗かせた。
「あ、そうだ。食パンは一人三枚までね。ジャムとマーガリンが冷蔵庫に入ってるから。コーヒーとココアと砂糖は食器棚の中。牛乳は月曜と水曜に直売所に届くから、分量を調整しながら飲んでね」
「了解。ありがとう」
 ルンルンが現れたおかげで、空気が爽やかになったので、この場所でいつまでもうじうじと考えるのは止めにした。私は食パンをオーブントースターに入れると、インスタントコーヒーの瓶を開ける。食器棚のマグカップはどれも同じ真っ白な色をしていて、誰がどれを使うとか悩まなくてもよさそうだ。
 カップにお湯を注いでいると、オーブントースターのチンという音が響いた。
「焼けたかな?」
 覗き込んで、ちょっとガッカリする。年代物のトースターは奥の温度が高くて半分焦げていた。生活用品の扱いでさえこれだ。私の寮生活はまだまだ始まったばかりだった。
 
 
 九時を過ぎた頃、かおりんとルンルンはバスに乗って街に出かけた。時間を持て余した私はとりあえず部屋に戻ることにした。
 寮の二階には三人部屋が三つある。
 一号室はちなっちゃんとかおりんとルンルン。
 二号室はまどかサンとマイちゃんと私。
 三号室はユッキーとすずちゃん。もう一人来るらしいから、それで九人揃う。
 私は二号室に入り、自分のベッドの掛け布団だけ簡単に畳むと、小さなちゃぶ台のような机があるスペースに座った。ダンボールで器用に作られた本棚に、まどかサンの本が几帳面に並んでいる。どれでも読んでいいと言われていたので、写真集を一冊手に取った。
 床に置いてあるプラスチックのカゴを蹴飛ばさないように注意しながら、壁に持たれかかる。カゴの中にはあらゆるメイク用品が分類されずに様々な地層を作り出していた。間違いなく、マイちゃんの持ち物だろう。同じ部屋に違う雰囲気が混在していると、個性が際立っていくものなんだな。この中に私の持ち物が加わると、どうなるのだろうか。
 ベッドがある壁とは反対側の壁に、小さめのカラーボックスが三つ並んでいる。白がまどかサン、黒がマイちゃん、茶色が私。茶色はまだ何も入っていない状態だ。まさか、マイちゃんが寝ている横で片づけをするわけにもいかない。かといって、リビングで一人、テレビを見ているのも何だか寂しい。
 白いレースのカーテンが風になびくのをぼんやりと見ていると、マイちゃんがベッドの中でもぞもぞと動き出した。隣を見て、私が寝ていないことに気づいたのだろう。むくりと起き上がるとこっちを見た。
「リンリーン。出かけるの、昼からでもいい?」
「いいよ。急いでないから」
「荷物は開けていいからね」
「うん。ありがとう」
 私の返事を聞いて安心したのか、マイちゃんはドミノが倒れるように、後ろへ倒れこんで、そのまま寝てしまった。了解を得られたことだし、お言葉に甘えて片づけをさせてもらおう。
 私は本を元の場所に片付けると、昨日は着替えを出しただけで終わっていた自分の荷物の前に座った。寮にどれだけ物を置くことが出来るか分からなかったので、最小限の洋服しかない。洗濯機は一台しかないから、毎日洗濯するのは難しいだろう。これは、家から何か見繕って送ってもらった方がいいかもしれない。幸い、自分に割り当てられたカラーボックスにはまだスペースがある。
 ようやく荷物が片付きかけた頃、どこかで昼のサイレンが鳴ったのが聞こえた。もう、お昼か。少ないと思っていた荷物だけれど、随分片付けに手間取ってしまった。一度も引越しをしたことがないけれど、さぞかし大変なんだろうな。大きめだったとはいえ、箱ひとつで苦労した私は苦笑いするしかない。
 荷物が入っていたダンボールを、外にある倉庫に入れて部屋に戻ると、ばっちりメイクのマイちゃんがいた。
「お昼食べてから行こうか」
「お昼ってどうするの?」
 食堂には殻になった鍋しかない。冷蔵庫は飲み物ぐらいしか入っていなかった。作ろうにも残っている食パンだけではどうしようもないし、歩いて行ける距離に店があるとは思えない。
「仕事の時は弁当を頼めるんだけどね。休みの日はみんな適当に食料を持ってるよ。今日のところはこれでいいかな?」
 マイちゃんはカラーボックスに向かって何やらごそごそと動くと、カップ麺をふたつ取り出した。ひとつを私に手渡す。どうしようかと一瞬迷ったけれど、有難く受け取ることにした。
「ありがとう」
 熱いラーメンを食べると、全ての戸締りを確認して外に出た。マイちゃんは鍵を郵便受けに入れる。車も人も通らないから、これで十分らしい。戸締りは急に雨が降ったときに慌てないため程度にしか考えられていないそうだ。
 空は水色で、寮から離れるとそこには電線すら見当たらない。分断されていない空を見上げていると、なんだかとてつもなく自由だと思える。
「あ、飛行機雲」
 マイちゃんが白い雲を指差した。飛行機は遠すぎて、別の世界を飛んでいるみたいだ。
「飛行機どころか、車もないから歩くしかないもんね」
「まぁ、どこに行ったって同じようなところしかないけど」
 周りには木しかない。マイちゃんはそう言っていると思ったけど、後になって違うと分かった。
 三十分くらい歩いただろうか。少し空が広いところに出ると、マイちゃんは立ち止まって、携帯を空に掲げた。
「さて、電波はあるかな?」
 そのまま、くるくる回りながら歩き続ける。舗装されていない地面はでこぼこで、こけたりしないか気になるけれど、本人はいたって平気だ。
「天気によって、つかめる場所が微妙に違うんだ」
 私も携帯の電源を入れると空に掲げる。風を読むようにしてしばらく歩くと、変化があった。
「あ、メールが入ってきた」
「じゃあ、終わったら携帯鳴らして。私はあっちで喋ってるから」
 マイちゃんの番号は昨日のうちに登録していた。
「うん。また後でね」
 メール受信はなかなか終わらない。いきなり音信不通になったようなものだから、心配かけてしまったかな。着信もかなりの件数が入っていた。
 とにかく、仕事中と思われる人にはメールで、そうじゃない人には電話で連絡をとる。思ったより不便だし、見えない鎖を引き千切られたような気持ちになる。
 ひとまず終わって時間を見ると、ここへ来てから一時間と少し経っていた。
「もしもし?」
 マイちゃんに連絡すると、すぐに繋がった。待たせてしまったかな?
『はいはーい。終わった?』
「うん。終わったよ」
 まだ、心残りはあったけど、あまり待たすわけにもいかない。
 場所は分かったから、次の休みには自分で来ることが出来る。私は自分を納得させるように呟いた。
「帰ろう」
 電波はまだ届いていたけれど、私は思い切って携帯の電源をオフにした。
 
 
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