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  Xiang-ge-li-la!  第四話 果樹園
 
 初出勤日の朝、玄関で靴下を履き忘れているのに気がついた。
「ああ、待って」
 聞こえていないみたいで、みんな足早に行ってしまう。追ったほうがいいんだろうか。道が良く分からないからついて行きたいけれど、一日目に靴擦れというのも何だか情けない。
「待ってるから、急がなくても大丈夫だよ」
 階段から足音がして振り返ると、制服姿のちなっちゃんがいた。ああ、良かった。
 足早に階段を上って、靴下をカラーボックスから引っ張り出して履く。玄関に戻ると、ちなっちゃんとルンルンが待ってくれていた。
「ありがとう、ちなっちゃん。道が良く分からなくて、どうしようかって思っていたんだ」
 ちなっちゃんに近道を教えてもらいながら、直売所へと向う。鹿よけの金網、足場の良くないところ。そして、目線を上げると相変わらずのメルヘンな世界。朝日に照らされた桃畑はただただ美しかった。
「寮には慣れた?」
「うん」
「はい」
 ちなっちゃんに聞かれて、ルンルンと同時に答えた。まだ小さな失敗はあるものの、大体の決まりごとは覚えることができた。本格的に生活リズムを掴むのは今日、仕事が始まってからだろうけれど。
 ログハウスが見えてきたので、私は腕時計を見た。寮からの所要時間は約十分だった。大雨の後は近道は使えないので、倍の時間がかかるらしい。
 ちなっちゃんに続いてログハウスに入る。中は結構広くて明るい。
「タイムカードはこっちだよ」
 ちなっちゃんはStaff-onlyと書かれた扉を開いた。中は休憩室にもなっていて、簡単な机と椅子が置いてある。
「今から朝礼だから、ここで待ってて」
 直売所とバーベキューハウスの間にある空き地でしばらく待っていると、少しずつ人が集まり始めた。しばらくしても、担当者の吉木さんが現れない。
「吉木さんは?」
 最後にバーベキューハウスから走ってきたユッキーが、かおりんに聞いた。
「金庫を取りに事務所に行ってるよ」
「とりあえず、並んでおく?」
 ちなっちゃんの言葉に、ただ固まって立っていた私たちは、蟻の行列のように少しずつ真っ直ぐになっていく。
 今日は全員出勤だからだろうか。少し賑やかだ。ルンルンはユッキーからエプロンを受け取って付け始めた。普通のエプロンのバーベキュースタッフと腰エプロンの直売所スタッフが向き合って並ぶ。私はマイちゃんの左横に並んだ。
 バーベキュースタッフはちなっちゃん、ユッキー、すずちゃん、ルンルン。
 直売所スタッフはまどかサン、かおりん、マイちゃん、私。
 丁度、並び終わった頃に、ホテルの名前が入った白い車に乗って男の人が現れた。
「すいません。少し遅くなりました」
 吉木さんはホテルの社員さんで期間限定でここに来ているらしい。今日はホテル売店との打ち合わせがあって、遅くなったそうだ。
 責任者というからもっとおじさんを想像していた。ちなっちゃんやまどかサンと同い年ぐらいかな。素朴な田舎の青年といった雰囲気だ。
「佐藤さんと呉さんですね。僕は吉木です」
 挨拶の後、朝礼が始まった。今日は正午に団体さんが来ると吉木さんが言うと、ちなっちゃんとユッキーの表情が引き締まった。朝礼が終わると、まどかサンはかおりんと打ち合わせを始めた。これから、どうしたらいいものかと立ち尽くしていると、吉木さんがルンルンと私を呼んだ。
「朝は発送作業をお願いします」
 手が空いたらすぐに出来るように、発送作業は全員に教えているそうだ。吉木さんの案内でルンルンと私は大きな倉庫へ向かった。
 倉庫の中は箱で埋め尽くされていた。地震が起きたらどうするんだろうと、いらないおせっかいが頭をかすめる。
「仲谷さん、尾上さん」
「はーい」
 奥から元気なお母さんといった感じの人が現れると、吉木さんは私とルンルンを紹介した。
「何時まで?」
「十時までですね。今日はお昼に団体のお客様が二つ入ることになっていますから。発送は僕が説明しますから、収穫をお願いします」
「じゃあ、よろしく」
 日よけがついた帽子を被ると、仲谷さんと尾上さんは軽トラに乗って畑に行ってしまった。ルンルンと私は、吉木さんの後を生まれたばかりのひな鳥の様に追いかける。
 箱で出来たバリケードの中に、小さな机が置いてあった。吉木さんは電話の横にあるケースを手にすると、中から記入済みの発送伝票を取り出した。数枚ずつ、ルンルンと私に手渡す。
「品種と個数が伝票に書いてあるので、その品種の箱に貼って下さい」
「吉木さん、品種は何個ありますか?」
 ルンルンが手を挙げて聞いた。
「今は八幡白鳳とあかつきと浅間だから三個だね。来月になるともう少し増えると思うよ」
 言われても、並べて比べないと違う桃に見えない。こうなったら、箱と伝票の字だけが頼りだ。ぶつぶつと品種を言いながら、伝票を貼るので名前は覚えられると思う。
 風の入らない倉庫で下を向いていると、汗が滴り落ちてくる。
 隣を見ると、ルンルンは真剣に文字を形で覚えようとしていた。吉木さんは伝票が貼られた箱を荷物が出しやすいように大体の住所ごとに分けて積み上げている。
 伝票貼りが終わったら、次は箱詰めの説明だ。発送分は追熟させるのでまだ硬いけれど、桃の皮は薄い。傷つけないため、どれだけ触らずに綺麗に詰めるかが問題だ。結構、緊張する。
 発送準備の間にも持ち帰り希望のお客さんがあったりして、吉木さんは直売所と倉庫を行ったりきたりしている。これは体力勝負だな、と思う。
 車の音がして、仲谷さんと尾上さんが倉庫に戻ってきた。トラックには桃が沢山積んである。二人でこんなに収穫してきたんだ。
「休憩したら戻りましょうか」
 吉木さんに言われるまで、十時になっていることに気がつかなかった。手を動かしていたら時間が過ぎるのが早いな。
「その傷がついて、売り物にならない桃は食べていいから」
 尾上さんが指差した先には、山盛りになった桃がプラスチックの大きな箱からはみ出そうになっていた。
「これだけ全部ですか?」
 私の素朴な疑問は大きな笑い声で打ち消された。
「ひとつ食べたらお腹いっぱいになるよ。後はジュースにするんだよ」
「皮はどうするのですか?」
 ナイフを探すルンルンに向かって、尾上さんが首を横に振った。
「皮なんてむいちゃいけないね。そのまま、ガブッといって」
 ユッキーも適当にその辺りにある布で桃を拭くと、そのままかぶりついている。私も真似をしてかぶりついた。
「美味しい!」
 種の周りまで甘かった。完熟桃っていうのはこういうのを言うんだ。
「そりゃ、手間隙かけてるもん」
 日よけの帽子を取りながら、仲谷さんは本当に嬉しそうに笑った。
 
 
 直売所に戻った私は、レジの打ち方と発送の受け付け方を、まどかサンから教えてもらった。その後はマイちゃんと一緒に、在庫置き場と呼ばれる直売所脇にある小さなプレハブの建物に入って、雑貨とお菓子の在庫確認をする。そうこうしているうちに、もうお昼だ。
「休憩、どうぞ」
 まどかサンに言われて、私は休憩室に向かった。休憩室ではユッキーが凄い勢いで、親子丼とサラダをかきこんでいた。私は隣に座ると、弁当を開ける。
「リンリン、それだけで足りる?」
 今日、私が頼んだのは、おむすび弁当。内容はおむすび二個とから揚げ一個。決して少ない量ではないと思う。
「炭水化物だから、お腹は空かないと思うよ」
「ふぅん。お昼に栄養とっておかないと、きついよ」
 そんな大げさな。足早に戻っていくユッキーを見ながら、唖然とした私だったけれど、すぐに謎は解けた。私が直売所に戻ると、バーベキューハウスに入っていた団体さんが、一気に直売所に訪れていた。
 ちらほらとお客さんがいた直売所は、一気に戦場と化していた。あまりの状況に、レジに入っていたまどかサンが珍しく大きな声を出す。
「佐藤さん、発送受付お願いします!」
「はい!」
 レジを打ちながら、てきぱきと指示を出すまどかサンとかおりん。そして、走り回るマイちゃんを目の前に、私は目を白黒させながら発送受付を必死で行った。今のところ、他には荷物運びくらいしか出来ることがない。自分の無力さを噛み締めながら、箱の大きさと送料を何度も確認する。せめて、ミスのないようにしよう。
 そうこうしているうちに、バーベキューハウスに行っていた吉木さんが駆けつけた。
「お疲れ様です」
「三番レジ、お願いします」
 まどかサンの言葉に吉木さんが頷く。列は次第に分散されていったけれど、終わりはまだ見えそうにない。
 私の前で伝票を書いていたお客さんの手が止まった。
「白鳳とあかつきを一つの箱に入れて貰うことって出来ますか?」
「あ、少々お待ちください」
 戸惑う私に気づいたのだろう。マイちゃんがすかさず、内線で倉庫に連絡してくれた。
「白鳳とあかつきの抱き合わせ、出来ますか?」
 そうか、そういう風に聞けばいいんだ。
「はい、分かりました」
 マイちゃんはお客さんの前に来ると、すらすらと話し出す。
「お待たせしました。果実の大きさが違うため、箱の中が不安定になるので発送は難しいようです。お持ち帰りでしたらお受けできますが、いかがでしょうか?」
「じゃあ、持ち帰りで」
「はい。ありがとうございます」
 人は見た目で判断してはいけない。マイちゃんは本当にバリバリ仕事が出来る。第一印象はあてにならないと心から思う。
 マイちゃんと目があったので、口パクで『ありがとう』と言うと、にっこりと笑って彼女は倉庫に走っていった。
 発送受付が落ち着いたので、買い物袋の補充にレジ裏へ向かった私に、小銭の補充をしていたまどかサンがちらりと時計を見ながら、小声で呟いた。
「二時出発予定だから。もう少し頑張ってね」
 どこで仕入れたんですかっ、そんな情報!
 まどかサンの言ったとおり、二時過ぎには人影はなくなっていった。あれだけごったがえしていたのが嘘みたいだ。私は静かになった店内で、机の上のテープやペンを片付けているまどかサンに話しかける。
「何で二時出発って知ってたんですか?」
「バスガイドさんが教えてくれたの。よく来る人だから、助かったわ」
 何事もないように言うまどかサンは、やっぱり今年初めて直売所にいるとは思えない。
「よーし、あとは補充と発送だ。今日中に出来るね」
 マイちゃんが腕まくりをすると、かおりんも伝票を持って走り出す。
「発送準備、行って来ます」
 みんな、元気だ。私も頑張らなくては。私は気合いを入れると在庫置き場へと向かった。
 
 
 初日はあっと言う間に終わっていった。夕方、寮に帰る頃には随分疲れていた。
「ただいまぁ」
「お疲れ、リンリン」
 にこやかに迎えてくれたのは、ちなっちゃんだった。朝礼の時とは全く違う、優しい雰囲気がそこにあった。
 そうか、あだ名は覚えやすいだけじゃなくて、寮で気を使わないためでもあるんだ。ずっと敬語だと疲れるし、少しはほっとしようってことだろう。先人の知恵って素晴らしい。
 とてもハードな初日だったな。私は深い眠りについた。夢は全く見なかった。
 
 
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