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  Xiang-ge-li-la!  第六話 季節風
 
 夕方、寮に帰ると、靴箱に見慣れない靴が入っていた。
「新しい人が来ましたか?」
 後から帰ってきたルンルンが後ろから覗き込んだ。
「そうみたいだね」
 靴箱の名前を見ると、石井優花とある。一人覚えるのは楽だな。逆に石井さんは八人覚えないといけないんだから大変だ。
「おかえり」
 かおりんが食堂から顔を出した。すずちゃんが石井さんを連れて後に続く。
 そうか、すずちゃんと同じ部屋だから案内してあげていたんだな。 
「ユウちゃんだよ」
 もう、あだ名が決まっているようだ。すずちゃんよりさらに小さくて可愛らしいという言葉が良く似合う。不安そうにきょろきょろとしていて、誰かが帰ってくる度に挨拶をしている。
 何だかこの前の自分を思い出すとおかしくなってきた。私もこの間までは、寮に慣れることが出来るか不安だったっけ。
 懐かしいついでに、明日の休みは久しぶりに電波拾いにでも行こうかな。
 携帯の充電をしておこうと思って二階に上がると、三号室の前で頭を抱えるユッキーの姿があった。
「ユッキー、どうしたの?」
「いや、ちょっと、ジェネレーションギャップがあってね」
 それで、寮の案内をすずちゃんに頼んだのだと、ユッキーは力なく言った。
「ユウちゃん? そんなに年が離れていたっけ?」
「年は私の一つ下。だけど、あれを見てよ」
 他の人の部屋に入ることは滅多にない。私は三号室を覗き込むと、ユッキーの心中を察した。荷物を片付けている途中なのだろうか? 大きなピンクの旅行鞄から頭を出しているのは、一抱えもありそうな白いウサギのぬいぐるみ。
「何であんなものが」
 最小限の生活必需品であるはずの荷物に入っているんだ? という後半部分は省略した。あまりに哀しかったので。
 ユッキーも疲れた様子で答える。
「あれがないと眠れないんだって」
 大丈夫なんだろうか、この先……。不安を抱えながら、私たちは最も忙しいといわれる時期を迎えた。
 
 
 朝はいつものように慌しい。またブレーカーが落ちただの、水の流れが悪いだの、大騒ぎだ。それが終わるとユウちゃんが恐る恐る部屋から顔を出した。
 今日はルンルンが急遽仕事になってしまったので、私とユウちゃんだけしか寮にはいない。会話は当然のように続かず、妙な沈黙が流れていた。
 食器を片付けていると、電話が鳴った。電話が鳴るのは珍しいので、何だか妙に緊張する。
「はい。一葉寮です」
『もしもし、リンリン?』
 この声はマイちゃんだ。どうしたんだろう、すごく慌てている。
『日誌忘れちゃったみたいなんだ。部屋にあるか見てもらってもいい?』
 当然のことながら公衆電話に子機はない。私は二階に駆け上がると、二号室へ入った。机はマイちゃんが使っていたのだろう。かなり色々な物が積み重なっていて、地層を作りだしている。その中から黒い表紙の日誌が見つかった。
 私は電話に戻ると、マイちゃんに答える。
「あったよ。持っていこうか」
『いいの?』
「いいよ」
『助かったよー。ありがとう』
 電話を切ると、廊下の端で立っているユウちゃんと目が合った。
「ユウちゃん。私、これを届けに直売所に行ってくるね」
 黒い表紙の年季が入った日誌を見せる。ユウちゃんは小さな声で呟くように言う。
「私も行っていいですか?」
「じゃあ、一緒に行こう」
 簡単に着替えを済ませると川沿いの林を歩いた。今日は風が強くて木がざわめいている。ユウちゃんは白い帽子を深くかぶり直した。
「ここが近道なの。その柵には触らないでね」
 ちなっちゃんに聞いた通りをユウちゃんに伝える。
「鹿よけの柵なんだ。電気が通っているから」
 ユウちゃんは不安そうに柵を見た。眼下には流れの速い川が見える。あまりにユウちゃんがゆっくり慎重に歩くので、帰りは普通の道を通ろうと思う。
 予定より随分時間がかかって、ようやく直売所に着いた。朝礼が終わったばかりのようだ。お客さんはまだいない。
「リンリーン、ごめんね」
「いいよ。別に用事もないから」
 駆け寄ってきたマイちゃんに私は日誌を渡した。
「お詫びに出来立てほやほやの新製品、食べてってー」
 マイちゃんは桃シャーベットの素で作ったアイスキャンディをトレイに乗せてきた。ひと口サイズでカラフルなピックが刺さっている。ピックはプラスチックで出来た、先のとがっていないものだ。
「それって、昨日試食の準備したの、私だよね」
 思ったより数が多くて、冷凍庫の掃除までしたのは記憶に新しい。
「覚えてた?」
 マイちゃんは両肩をすくめて軽く舌を出した。まどかサンとかおりんの笑いが辺りに響く。
「ユウちゃんもありがとね」
 笑い終わったマイちゃんはユウちゃんにトレイを向けた。ユウちゃんは戸惑いながらもにこりと笑ってアイスキャンディを受け取った。
 
 
 帰り道、普通の道を歩いていると、桃畑から出ていく軽トラが見えた。吉木さんが運転をしているから、時間的に遅出のパートさんを迎えにいくんだろう。
 ふと、桃畑に目を向けると、仲谷さんが大きな脚立の上で収穫しているのが見えた。
 自分の身長より高い位置にいるってどんな気分だろうか。脚立の上で器用に動き回ってる姿は消防隊のはしご乗りを連想させる。農家のお母さんは強いとしみじみ思う。
 その時だった。突風が畑の中を通り抜けていき、視界は一瞬遮られた。
「きゃっ!」
 目を開けた私が見たのは、飛ばされていくユウちゃんの帽子。そして帽子の向こうで、大きく傾く脚立。
 何が起こったのか、理解するまで何秒くらいかかったのだろうか。
 私は自分の目を疑った。脚立の上にいた仲谷さんの姿が見えない!
「仲谷さん!」
 私は慌てて、倒れた脚立へと駆け寄った。草の上は走りづらく、もどかしい。桃の木の下にたどり着くと、仲谷さんは脚立の下で倒れていた。
 周りには誰もいない。ユウちゃんと二人で脚立を持ち上げて、横に置いた。仲谷さんは動かない。
「こういう時って動かしていいんだっけ? 悪いんだっけ?」
 早口でユウちゃんに聞いたけれど、彼女は真っ青になったまま、立ちつくしている。
 私は視線を仲谷さんに戻した。何だか痛そうな表情をしている。もし、頭を打っていたら大変だから動かさないようにしよう。ええと、そうだ、意識レベルだ。呼びかけに答えることが出来れば、意識障害は免れる。どこかで聞いたような言葉を思い出し、仲谷さんを呼ぶ。
 お願いだから、目を覚まして下さい!
「仲谷さん! 仲谷さん!」
 何度も呼びかけていると、仲谷さんが目を開けた。
「佐藤さん?」
 私のことが分かるみたいだ。動き始めた仲谷さんに、私は一番気になっていたことを聞く。
「頭、打ってないですか?」
「うん。頭は大丈夫」
 これで、少しは安心だ。仲谷さんが起き上がろうとするのを支えながら、もうひとつ質問する。
「他に痛いところは?」
「右足と腰がちょっと」
 それだけ言うと、仲谷さんはその場に座り込んだ。痛みはちょっとどころじゃないのだろう。汗をかいている。
 慎重に靴を脱いだ仲谷さんの右足を見て、私は息を飲み込んだ。
 右足の親指が内側に向かって不自然に曲がっている。外反母趾とかいうレベルじゃない。しかも、内出血しているみたいだ。
「ユウちゃん、傍にいてあげて」
 私は立ち上がると、ユウちゃんに言った。彼女は不安そうに聞き返してきた。
「リンリンさんは?」
「救急車呼んでくる!」
 一番近いのは倉庫だ。でも、内線しかない。一時も早く連絡を取るためには外線が繋がるところ。直売所だ。
 直売所の裏口へ辿り着くと、そのままレジ裏の外線へと向かう。
 私の様子にレジにいたまどかサンは目を丸くした。
「どうしたの? リンリン」
 私は息を整える。
「電話、貸して。救急車。仲谷さんが脚立から落ちたの」
 気ばかり焦って、上手く言えない。
「怪我は?」
「右足の指が、折れている、と思う。あと、腰が痛いって」
 途切れ途切れの言葉は伝わっているだろうか。誰も頼れないと思ったときは、あんなに動けたのに。目の前でちゃんと話を聞いてくれる人がいると、こんなにも弱くなってしまうものなんだろうか。
「話は?」
「普通にしてたよ」
「それなら救急車を待つより、事務所の車を借りたほうが早いわ」
 まどかサンはレジの後ろにある電話で事務所に内線をかけると、簡潔に話をした。
「原さんがすぐここに来るそうよ。案内してあげて」
 言葉は出てこなかったので、必死に頷いた。
「リンリン、落ち着いて。吉木くんには伝えておくから」
 よほど慌てていたのだろう。まどかサンの言葉に励まされた私は、一度足を止めて深呼吸をした。
 直売所の脇で待っていると、原さんの車はすぐに来た。今日はワゴン車だ。
「こっちです」
 桃畑に着くと、仲谷さんの表情はますます険しくなっていた。
「車をぎりぎりまで寄せるから、ここで待っていて」
 原さんにもいつもの余裕はない。ユウちゃんと私は二人で仲谷さんを支えながら、車を待った。
 後部座席に仲谷さんを乗せて、車はゆっくりと走り始めた。桃畑が次第に遠ざかっていく。川沿いの道が長く続き、人が歩いていない集落を抜けて、田んぼの緑を重ねるとようやく駅が見えてきた。
 小さな商店街に車は入っていく。病院は商店街の脇にひっそりとあった。
 灰色の建物の個人病院には待合室がなく、廊下に背もたれのない長いすがあるだけだった。そこに、事務所からの連絡を受けて、仲谷さんの息子さんが来られていた。
 息子さんに支えられて診察室に入った仲谷さんは、すぐに出てきて、今度はレントゲン室に入っていった。扉が開くたびに私たちは椅子から立ち上がっては座る。今度は処置室だ。
 廊下が静まり返ってから、一時間くらい経っただろうか。処置室からもう一度診察室に入った仲谷さんが、息子さんに支えられながら椅子の方向へ歩いてきた。
「こんな忙しい時にすみません」
 仲谷さんは息子さんに支えられながら、原さんに頭を下げた。とても疲れているように見える。
 息子さんが原さんに簡単に説明をする。右足親指の第二間接の骨折。腰のレントゲンには異常は見られなかったそうだ。骨折は全治三週間。複雑骨折ではなかったので手術と入院はせずにすみ、これからは自宅療養とリハビリをするという話だった。
「今日はゆっくり休んでください。お大事に」
 話が終わると、原さんは微笑んで軽く会釈をした。それからユウちゃんと私の方を向き、病院の外へと促がした。 
「寮まで送っていきましょうね」
 ユウちゃんと私は仲谷さんに挨拶すると、車へと向かった。帰り道は思いのほか短く感じたけれど、車の中は沈黙が支配していた。
 
 
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