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  Xiang-ge-li-la!  第九話 夏風邪
 
 ベッドの中でバケツをひっくり返したような雨の音に気が付いた。
 頭が痛い。咳も出てるからきっと風邪だ。視界がぼんやりするから、熱があるのかもしれない。
 おかしいな。外は明るいのに誰の足音もしない。起き上がって部屋を見渡すと、早起きのまどかサンはともかく、マイちゃんの姿もなかった。慌てて見た部屋の時計は完全に遅刻だと告げていた。
 取りあえず、遅刻の連絡をしなくては。立ち上がると床がひんやりとしているように感じた。
 がらんとした廊下に雷の音が響く。そういえば、すずちゃんは雷が大の苦手だったっけ。怖がってないといいけれど。いや、昨日大喧嘩した相手が心配しても迷惑なだけか。
 熱のせいかうだうだと考えながら、階段を下りた。
 公衆電話に十円玉をありったけ入れて直売所の番号を押す。何度目かのコールの後、出たのは吉木さんだった。
「おはようございます、佐藤です。すいません。今日、一時間遅れます」
 雨の音が受話器の向こうからも聞こえた。
『あ、聞いていますよ。風邪だそうですね。今日はこの雨ですからゆっくり休んでください。事務所にはこちらから欠席と伝えておきます』
 この言葉はものすごくありがたかった。私はもう一度謝ると、受話器を置いた。かしゃんかしゃんと何回か音がして落ちてきた十円玉を、ジャージのポケットに押し込む。
 何をやっているんだろう。足手まといにはなりたくなかったのに、一番足手まといになっている。自己嫌悪に陥りながら階段を上る。
 私はベッドに倒れこみ、布団を頭から被るとそのまま眠りについた。
 
 
 車の音がして、ぼんやりと目が覚めた。それからは何の音も聞こえない。
 ぐっすり眠っていたから、夢と勘違いしたんだろうかと思った時、部屋の扉がノックがされた。不思議に思いながら返事をすると遠慮がちに扉が開く。
「佐藤さん」
「仲谷さん! どうしてここに?」
 だいぶ良くなったのか、朝より簡単に起き上がることができた。立ち上がろうとすると、仲谷さんはそのままでいいよと言って笑った。
 ベッドの上に座る私と向き合うように、仲谷さんは床に座った。
「病院の帰りに事務所によったら風邪だって聞いて」
 仲谷さんの足にはまだ包帯が巻いてあった。足音がしないはずだ。仲谷さんは這って階段を上がったんだ。
「ごめんね。私がこんなことにならなければ」
「いいえ、いいえ」
 言葉にならなくて、精一杯首を横に振った。無理をしたのは自分の事情だ。仲谷さんのせいじゃない。
 仲谷さんは鞄の中から小さな箱を取り出すと、私の掌に乗せた。
「これ、風邪薬。起き上がれるようなら病院に行く?」
「うーん。大丈夫です。もう、だいぶ良くなりましたから」
「それは良かった。じゃあ、お大事に」
 ゆっくりと立ち上がろうとする仲谷さんを支えた。自分が思ったよりきちんと立ち上がることが出来たことに安心する。これなら大丈夫だ。
「玄関まで送ります」
「全く、見舞いに来たんだが、病人を動かしに来たんだか」
 仲谷さんは断ろうとしたけれど、上手く立つことが出来ずに苦笑いしながら言った。
 私は首を横に振って精一杯微笑んだ。
「嬉しかったです。仲谷さんもお大事に」
 寮の外に息子さんの乗った車が止まっていた。仲谷さんは手を振って帰っていった。
 いつの間にか空は明るくなっていた。雨はすっかり止んだようだ。
 
 
 もらった薬を飲む前に何か口に入れておこうと食堂に向かった。自分の食料が入った棚の前に立つと、流しの横に何か置いてあるのが目に入った。
 白い紙が見えたので近くに寄ってみる。
『リンリンへ』
 それだけのメッセージ。この字はちなっちゃんだ。
 そして、何故かぐるりと円を描くように果物やパンが置いてあった。全部で八つ。ってことはそれぞれ一つずつ置いてくれた計算になる。
 私は時計回りに見ていった。
 レトルトのおかゆはメッセージを置いてくれたちなっちゃん。
 チョコレートはマイちゃんだ。彼女はいつもファミリーパックを持っている。
 これは、のど飴? 漢字ばかりでよく分からない。ってことはルンルンだな。
 バナナはかおりんだ、毎日食べているから。
 このメーカーのクリームパンはユウちゃんだね。他より甘いから好きだって言ってた。
 みかんの缶詰はユッキーかな? 違う、ユッキーはきっと隣の梅干。
 じゃあ、缶詰はすずちゃんだ。喧嘩した人間のことなんてほっといてもいいのに。
 ってことは、この栄養ドリンクはまどかサン? 渋い、渋すぎる。
 そして、円は私の名前が書かれた白い紙へと戻っていく。
 ああ、これって一葉寮だ。ぐるりと描いた円陣。安心して笑いが出てくる。それと同時に涙があふれてきた。
 ――私は馬鹿だ。これだけ心配してくれる人たちがいることに、全く気がつかなかった。
 私はそのまま広い食堂の床に座り込んで声にならない声で泣いた。
 どのくらいそうしていただろうか。ようやく涙が落ち着いてきた。ゆっくり立ち上がると、深いおわんを食器棚から取り出した。レンジで温めたおかゆは火傷しそうなほど熱い。だけど、温かいものを食べると、すごくほっとした。 
 かぜ薬を飲むと、もう一度部屋に戻った。時計は四時をさしている。
 今日はみんなと一緒に夕飯を食べよう。それまで、もう少し眠っていよう。薬が効いているのかまぶたが重くなってきた。
 そんな夢うつつの中で小さな足音を聞いた。
 
 
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